原因帰属論

2022年12月号

 数学の試験が不合格だった場合、その原因を試験問題のせいにしている人は、これからも合格することはありません。そんなことは誰にもわかっているはずなのに、交通事故となると多くのドライバーが同じ過ちを繰り返しています。
 日々いい加減な運転を繰り返していても、必ず交通事故を起こすというものではありませんが、ひとたび事故を起こすと自分のずさんな運転を棚に上げ、運が悪かった、偶然だ、相手にも責任があるなどと言い訳を繰り返しています。しかし、人にケガをさせ、時にその命を奪っておきながら、運が悪かったとかとは何事でしょうか。そんな言い訳が許されるはずはありません。
 
 さて、私たちは様々なことを体験したとき、それは何故か、どうしてなのかとその原因を考えます。そして、原因をどう考えるかによって、その後の行動に変化が生まれます。このように、原因をどのように考えるか、その結果どうなるのかを考えるのが「原因帰属論」です。
 例えば、水が入ったバケツを考えてみます。
 ある日、お母さんが雑巾がけをしていると電話が鳴りました。お母さんがバケツをその場所に置いて電話に出たところ、走ってきた子どもがそのバケツを蹴飛ばし、床一面が水浸しになりました。お母さんは子どもを叱ります。「どこ見て走ってるの!気をつけなさい!ほんとにあなたはいつもそそっかしくて、落ち着きがなくて、……」とお説教が始まります。
 今度は反対の場面を考えてみます。お子さんがお風呂場で水遊びをして、バケツを居間に置いたままトイレに行きました。そこに、洗濯物を抱えたお母さんが来てバケツを蹴飛ばします。その時、お母さんはきっとこう言うでしょう。「何でこんなところにバケツを置いたの!」
 バケツが蹴飛ばされて床が水浸しになったことは同じなのに、お母さんの評価は全く反対です。バケツに気付かなかったことが原因と考えるか、バケツをそんな場所に置いたことが原因と考えるかによって評価が異なるということです。
 そして、バケツを置いた人や蹴飛ばした人を責めるだけではなく、互いに注意していれば避けられたことを考えれば、同じ出来事を発生させないために必要なこととは、互いに配慮することなのだという答えが見つかります。
 
 さて、対向に右折車がいる交差点を直進しようとした場合でも、優先であることを過信しないことが必要です。直進の自分が優先だからとアクセルを踏んだまま通過するのではなく、相手(右折車)がウッカリ右折を始める可能性を考えてアクセルから足を離し、ブレーキの上に足を添えて交差点を通過するという配慮が大切です。
 優先車のドライバーは自分が優先であることを過信してはなりません。大切なこととは、事故を避けることだからです。人の過失をなくすことはできなくとも、双方が注意することによってその過失を補い、事故を防ぐことができるからです。
 
 交通事故が発生した場合、誰かを悪者にしても何も解決することはできません。交通事故とは命が傷付く現実のことであり、解決することとは、交通事故を減らすこと、死亡事故をなくすこと、私たちが加害者にも被害者にもならないということです。
 自動車の安全機能が急速に進化している今日こそ、誰かの過失を補うほどの高い安全意識を持ち、一人でも多くのドライバーと共有することによって、事故を回避することが求められています。
 交通事故を減らすために不足しているものは知識ではありません。私たちドライバーに不足しているものとは、それを本気で考えて実行しようとする意志なのだと考えています。