振り込め詐欺

2020年10月号

 振り込め詐欺を防ぐ対策として、振り込め詐欺のハガキは料金後納なので郵便局で止めれば被害を防ぐことができるという意見があった。しかし、郵便局の見解は「信書の秘密の侵害にあたり、拒否できない」……、そんな新聞記事があった。
 ならば、被害を防ぐため、金融機関の窓口で多額現金を下ろそうとする預金者に使用目的を聞くことも権利の侵害であり、まして、警察に通報して警察官が預金者にその使用目的を確認することなど許されないことになる。
 では、何が許され、何が許されてはならないのか。法律か?……法律とは「最低の道徳」であり、ひとつの社会基準ではあるが、法がなければ、あるいはその罰則がなければその行為が許されるというものではない。その大量のハガキを発送すれば被害者が生まれるのに、「信書の秘密」を優先して犯罪者の権利を保護することを私たちの社会は容認しているのか。権利の保護とは、先人の苦難の成果として、私たちの社会が公平であるために、そして誰もがそれぞれの幸せを追求することを可能にするためにこそ尊重されるべきものであったはずである。
 私にとって、社会全体の利益、善良な国民の権利と犯罪者の権利は同じではない。
 
 さて、警察は人の命、体、財産を守る。つまり、「人」を守る。それが警察の仕事であることとは、私たちの国の守るべきものが第一に「人」であることを示している。それ故、警察は個別の権限法がなくても人を守るために必要な警察活動を行う。
 例えば、振り込め詐欺の防止とは、財産を守ることにとどまらない。被害に遭った高齢者が、その被害を苦にして余生を過ごすことの精神的被害は言うに及ばず、自他の批判に耐えきれず自らその命を絶つ被害者が少なからず存在することを思えば、それは財産だけの被害ではない。振り込め詐欺を防ぐこととは、その人の人生そのものを守ることなのだ。 
 だからこそ、警察署長だった私は金融機関に通報を依頼し、警察官が預金者にその使途を確認することで被害を防ぐ対策を講じた。もちろん反対もあったし批判もあった。苦情の電話は言うに及ばず、新聞に投書もされた。98%は騙されていない普通の預金者だったからであり、その人たちを窓口で待たせ、警察官からの質問に答えることを強いたからである。しかし、批判を受けても私は譲らなかった。それによって守ることのできた被害、守ることのできた高齢者の人生がそこにあったからであり、そうしなければ守ることができなかったからである。人の人生以上に守るべき必要のある自由など、私には考えられなかったからである。
 そして当時、管内の郵便局、金融機関は最大限の努力と協力をしてくれた。窓口で預金者から不満をぶつけられても説得して待たせ、通報してくれた。1ヶ月の通報件数は2百件に及び、その協力によって防ぐことのできた被害は少なくなかった。何人かの高齢者の人生を守ることができたのだ。
 
 人の自由とは無制限ではあり得ない。それは、公共の福祉による制約にとどまるものではなく、自らの自由を守るための必然的な制約である。自分の自由を守るためには少しの義務を果たす必要があり、それは誰かの自由を守るために必要とされる、私たちそれぞれの義務なのだ。
 安全運転とは道交法を守ることだと考えるのは思い上がりである。道交法を守るだけで交通事故を防ぐことはできないからである。交通事故の要因とは人の過失であり、人が過失から免れないのであれば、安全運転とは、誰かの過失を補うだけの安全意識を持ち続けることであり、自分の人生を守り、誰かの人生を守るもののことである。