道路交通法と安全運転

2025年 4月号

 何故、車ばかりに安全運転を要求するのか?という質問に対して、「人と車が衝突した場合、ケガをするのは歩行者だからです」と答えたことがあります。
 道路交通法には、事故を防ぐために様々な規定が整備されています。例えば、道路交通法第38条には、車は、横断歩道に接近する場合は、止まれる速度で接近すべきこと(第1項前段)、横断しようとする歩行者がいる場合には止まること(第1項後段)が定められています。また、交差点の進行方法について、第36条第4項は、「車両や横断歩行者に注意し、安全な速度と方法で進行すること」と交差点の安全通行義務を定め、更に、第70条は、「他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転する」という安全運転義務を定めています。

 このように、道路交通法では、細かな、事故を防ぐ運転の具体的な方法まで定められています。しかし、道路交通法で定められているから守りなさいと伝えると、「知らなかったから仕方がない」という答えが平然と返ってきます。
 免許証を持って運転する以上、知らないことは許されないのですが、道路交通法の規定など知らなくても安全運転はできます。
 例えば、横断歩道の右側が、対向車線の渋滞車両で隠れて見えない場合、あるいは生活道路の交差点で見通しがきかない場合、多くのドライバーは自分が優先だからと、漫然と走行することによって歩行者の発見が遅れ、事故が発生しています。
 見えなかったから仕方がないのではなく、見えないのであれば減速する、徐行する、それでも見えなかったら止まってでも確認すること、これがドライバーの基本的な義務であることだけを知っていれば、安全運転は誰でもできます。

 そして、ドライバーが歩行者保護を徹底する、安全運転を続けることによって、これまで発生していた交通事故は半減し、交通死亡事故は、ほとんどゼロにすることができるのです。
 私たちドライバーが、過去の運転行動を見直し、安全運転を行うために必要なもの、不足しているものとは、安全運転の知識ではありません。安全運転を行う、続ける、習慣とすることへの意識が不足しているだけなのです。
 私たちドライバーが安全意識を高め、運転行動を変えることによって守るべきものとは、被害者の心と身体、その命だけではありません。私たち自身の大切な人生を守るのです。
 
 私たちは、多くの経験を経て生きてきました。嬉しいこと、楽しいことばかりではなく、辛いこと、悲しいこと、苦しかったこともたくさんあったはずです。
 こうした、それぞれの経験を経た姿が、現在の自分に他なりません。楽しかった経験、苦しかった、辛かった経験など、それらどんな経験も無駄ではありません。その経験を無駄にするかどうかは、自分自身が決めること、自分次第なのだと思ってきました。
 しかし、交通事故という経験だけは、私たちの人生を豊かにすることなどありません。交通事故だけは、避け続けることが大切なのです。
 起こしてしまった事故は、なかったことにできません。奪ってしまった命は取り戻せず、失った自分の人生を取り返すこともできません。私たちにできること、それは、少しの努力を惜しまずに安全運転を続け、交通事故を防ぎ続けることだけなのです。
 安全運転を続けることの価値、それを見失うことなく自分のものにすること、これこそが、現代を生きる私たちの大切な知恵なのだと思っています。