自分の子ども事

2026年 2月号

 私の友人に、自動車関連企業S社で、社員の安全と健康管理を担当している女性Oさんがいます。先日、私のコラムを読んでこんな意見を送ってくれました。

 “よく弊社では、「何事も自分事ととらえて考える」と教えられますが、私は自分のことよりも子どものことを考えると、より気を付けようと思えるのです。
 交通事故や労災が起きたとき、ケガをしたのが我が子だったらと思うとゾッとします。
 なので、「自分事」ではなく、「子ども事としてとらえて考える」が正しいのでは、と思ったりします。上司には言えませんが。
 生活道路の見通しの悪い交差点で、我が子が飛び出してくると思ったら、自分が優先道路を走っていても、構えブレーキのノロノロ運転で、何度も左右確認しながら進みます”

 私はすぐに返信しました。
 ……本当にそのとおりだと思います。「自分の子ども事」、いいですね。
 交通事故は、人の過失によって発生しますが、大半のドライバーは、その事故を「他人事」だと考えています。つまり、自分は気をつけているから大丈夫だと、何の根拠もなく、勝手に思い込んでいます。その結果、同じような過失によって再び誰かが事故を起こすのですが、こうした過ちを、私たちは何度も繰り返してきたのです。
 そのため、「自分事」として考えよう、という指導が必要になりますが、そもそも何故、私たちは「他人事」と考えてしまうのでしょうか。
 それは、私たちの心の中には、常に自己過信(私は大丈夫という意識)が存在するからです。
 誰かが起こした事故を自分が起こさない、私たちが繰り返さないためには、私たちの中に存在する自己過信(私は大丈夫という意識)を払拭する必要があります。それが「自分事」としてとらえよう、という指導の目的です。
 しかし、その指導を受ける側に「受け止めようとする意識」がないと、せっかくの指導もその効果を発揮できません。
 その「意識」を持たせることが何よりも大切であり、何よりも難しいと考えています。私が繰り返し交通安全の「価値」を考えようと提案しているのは、そこに理由があります。……

 「自分の子ども事」として考える。
 それは、当事者意識という指導の趣旨とは少し視点がズレますが、Oさんは、それを承知の上で、私に提案してくれました。
 自転車のヘルメットについて、女子高校生は「前髪が乱れるからイヤ!」と答えます。その言葉に対して、私たちは本気で受け止めなければなりません。「前髪と命とどっちが大切なのか?」と問い返すことでは解決できないのです。
 私は、高校生に向けて、「あなたの命は、あなただけのものではない。それだけは決して忘れないで」と伝えました。

 人の命は、その家族や友人・知人に支えられて存在します。
 そして、すべての人が、互いに支え合う社会こそ、私たちが望んでいる社会の姿なのだと考えています。
 安全運転も同じです。歩行者を保護し、互いに譲り合う運転のことを安全運転というからです。
 彼女のメールの最後に、こんな言葉がありました。“被害者も誰かの大切な人という考え方が大事ですよね……”
 そうです。そして、加害者もまた、誰かの大切な人、なのです。