○○年春、K警察署長に着任した。交通警察部門の課題・目標は『交通死亡事故の減少』であった。
私は、警察署の幹部会議の席上、自分の思いを伝えた。
「交通死亡事故、その数にこだわるつもりはない。それは、増えたときの言い訳なのではない。市民の期待は、そこには存在しないからだ。
今(当時)、年間240人ほどの交通死亡事故が発生し、被害者は高齢者が125人、子どもは5人。交通死亡事故の減少を考えるのであれば、高齢者対策に重点を置くこと、高齢者の事故を減らすための施策・対策が必要であることは明らかだ。
しかし、私は、子どもの事故を減らすための対策に重点を絞る。
高齢者の命と子どもの命を比較しているのではない。命の重さを量るほど、私は不見識ではない。
私が考えているのは、人の命を守ること、そのために私たちの社会が果たすべき義務と責任のあり方のことだ。市民の将来に向けた期待に対して、警察組織としてどのように応えていくのかを考えている。
それは、死亡事故件数を減少させるための高齢者対策ではない。
子どもの命、歩行者が守られる交通環境を目指すことを通じて、交通事故の総量を抑制することだ。それこそが、交通死亡事故ゼロの社会へつながる確かな道のりであり、市民の期待する交通環境の姿なのだと考えている。
私にとって、交通死亡事故抑止という課題とは、その件数を減らすことだけではない。
加害者の運転行動を変化させない限り、交通環境は改善しない。つまり、ドライバーの安全意識、運転行動の変化を促すための施策・対策こそが私たちの重要な課題である。
子どもの交通事故防止、歩行者保護の徹底とは、誰もが共感してくれる出発点なのだ」
しかし、その発言と方針は、交通課長を困惑させ、警察本部からは批判的な声も聞こえてきた。
私は、高齢者の命を軽視しているのではない。交通死亡事故を減らさなくてもよいと考えているのでもない。
人は生まれて、その人生を過ごす。それを守るのは私たち社会の義務、果たすべき責任である。
人の人生を交通事故で失わせてしまうこととは、私たちの社会が、その責任を果たしていないということになる。病気は避けることができなくとも、交通事故は避けること、防ぐことができるからだ。
子どもを守るというメッセージは、誰もが共感・支持してくれる共通の目標・課題としての提案であり、決して、高齢者の命を軽視するものではない。
交通事故で子どもを失った親の悲しさは、自身の命がなくなるまで消えることはない。
自分の運転ミスによって、同乗していた友人を死なせてしまった青年は、それからずっと、後悔の念を抱き、背負い、向き合い続けて生きていく。
私たちの社会が、安全運転に対して、もっと真摯に取り組んでいれば、そんな悲しさなど、避けることができたはずである。
前年よりも減少したことで安心するのではなく、毎年積み重ねられ続けている、失われた命への畏れを忘れるべきではない。
私たちには、人として果たすべき役割、社会の一員として果たすべき責任がある。それは、人の命を大切にするということであり、そのためにも、今日も安全運転を続けるということの大切さを忘れてはならない。