皆さんの朝ごはんはパンですか?ご飯ですか?
私はパン派なのですが、食パンをそのままかじって水で流し込む、なんてことはしません。おいしく食べるためにトーストにしてバターを塗ったりして、パンの芳ばしさや食感、バターの味や香りを楽しんで食べています。
私たちが食事をするのは生きていくための栄養補給なのですが、食べないとお腹が空くため、食べ忘れて栄養失調になるということはありません。
しかし、車の運転中は、安全運転をしていなくてもお腹が空くような現象がないため、多くのドライバーは安全運転の大切さをしばしば忘れているようです。でも、それは毎日の食事と同じほどに大切なことです。
さて、皆さんに安全運転とは何でしょうか?と問いかけると
○ 交通違反をしないこと
○ 交通事故を起こさないこと
という答えが返ってきます。もちろん、それは間違いではありませんが、その中身に問題があります。
というのも、答えの中身、交通違反をしないこととは「警察官に見つかって検挙されないこと」であり、交通事故を起こさないこととは、「相手が悪い場合には仕方がない」という考え方が含まれているからです。
交通違反で検挙されると、自分の違反した行為を反省するのではなく、警察官に見つかったことを反省するため、自分の運転行動を改めることはなく、その結果交通事故は減りません。交通事故は、自分の過失が大きい場合でも、「運が悪い」とか「相手も悪い」などという言い訳をよく耳にしますが、そんな考えで事故が減ることなどありません。
起こしてしまった事故をなかったことにはできません。奪った命、傷付けた体や心、失った人生を取り戻すことはできません。
私たちが家族と共に幸せな人生を過ごしていくためには、交通事故の加害者にも被害者にもならないことが大切であり、安全運転を続けることとは、私たちが呼吸することや、食事をとることに等しい価値を持っています。
安全運転は義務ではありません。安全運転を義務だと考えるから重荷になり、面倒になってしまいます。誰かの命を奪わないとか、傷付けないということだけではなく、何よりもまず、自分の人生を守るための大切な行動規範なのです。
安全運転を忘れていても、お腹が空いたりして気付くことはありませんから、それが習慣になるまで少しの辛抱が必要ですが、安全運転の大切さに気付き、落ち着いた気持ちで運転することとは、私たちの人生を守るための大切な習慣なのです。
生きていくために食事をして必要な栄養素を補給することが必要であるように、大切な私たちの人生を守るためには、安全運転を欠かすことはできません。
生きていくための栄養補給なら、冷たい料理も暖かい料理も同じですが、私たちはおいしく食べるために味を調え、料理を温め、香辛料を加えます。毎日の食事をおいしく食べることは、豊かな人生を過ごすために大切なことです。
今日という日は、かけがえのない大切な一日です。楽しい一日も、忙しい一日も、悲しいことがあった一日も、そのすべてが、繰り返すことのできない大切な一日です。
今日がどんな日でも、一日を大切にしようと思いながら、私は、おいしい朝ごはんを食べます。そして、安全運転とは、おいしい朝ごはんのように、大切で嬉しいものであることに気がつくのです。