ゼロの日、立哨活動で事故は減るのか?

2017年 9月号

1 立哨活動
 ゼロの日は、官民あげてたくさんの人が交差点に立つ。交通事故を減らすために。しかし、それによって事故が減ったかどうか、誰も知らない。

2 交差点のお爺さん
 ゼロの日、K市のとある交差点では、かなり高齢のお爺さんがガードレールの内側に座り、手に交通安全の旗を持っている。
 その場所を通過する時、K署長はパトカーに減速を命じ、窓を全開にして身を乗り出すようにして手を振り、声をかける。「おはようございます!いつもありがとうございます!」すると、お爺さんは嬉しそうに笑う。

3 口の悪い友人
 その光景を見た口の悪い署長の友人、後日、署長室で切り出した。「あんな爺さんが旗を振って事故が減るのか?」
 署長は答えた。「警察官が立っても事故が減るという確証がないのに、お爺さんが旗を振っただけで減るはずがない。」
 友人は言った。「じゃあ、どうしてお前はあんなに嬉しそうに声をかけてるんだ?」

4 署長の説明
 あのお爺さんは、散歩するとき、気をつけて横断歩道を渡ってくれる。だって、自分が交通安全の旗を振ったんだから、事故したら申し訳ないって思う。その家族だって、ウチのお爺さんが交通安全の旗を振っているのに違反したら恥ずかしい、そんな気持ちで車を運転してくれる。
 あのお爺さんの気持ち、少しでも何かの役に立ちたい、そんな気持ちに応えること、それは俺にとって大事な仕事なんだ。俺がパトカーから身を乗り出して声をかけると、お爺さんは本当に嬉しそうに笑ってくれる。そして、多分、家に帰って、「今日も署長がありがとうって言ってくれたぞ」と自慢してくれる。それを聞いた家族が、「そう、よかったね」って言ってくれる。…それで十分ではないか。
 交通安全活動の価値は、それで事故が何件減ったのかという評価だけではない。交差点に立つことによって、自分の事故を防ぐこと。そして、交通安全を呼びかけてくれた人が感じた交通安全意識は、それを積み重ねることによって、いつか、誰かの交通事故を防ぐことができる。
 それでは不足だと嘆くのではなく、それが交通安全活動の価値なのだと誇りに思うべきではないか。そして、その効果・価値を信じて続けることこそが大切なのではないか。

5 友人と署長
 友人はしばし考え、「お前、なかなかいいこと言うなあ!」と笑い、署長は「俺はこの街の警察署長だぞ!」と言い返した。
 彼を見送りながら、署長は思った。「口の悪い友人とはありがたいものだ。そこまで考えての行動ではなかったが、問われて自分の思いを口にすることで、漠然としていた自分の気持ちが明確になった。俺は間違っていない。次はもっと大きな声で挨拶をしよう…」