ノーベル賞と交通安全

2017年 1月号

 昨年秋、ノーベル医学生理学賞が日本人の基礎研究者に贈られることが決まった。ノーベル賞の受賞者は誰もが基礎研究の重要性を指摘するが、基礎研究が高い評価を受けることはまれであり、対象となる研究の経済効果の大きさや、社会的な影響力が受賞の結論を左右しているといわれている。
 飛躍するが、交通安全活動も基礎研究と同じ性質を有する。私たちの社会にとって交通安全活動が重要であることは誰もが指摘するが、活動の具体的効果の評価は困難であり、個々の活動が何件の交通事故抑止に効果があったのかは誰も知らない。
 悲惨な交通事故が発生するたびに交通安全活動、安全運転の必要性が叫ばれるが、私たちはそれ以前から交通安全活動を積み重ねてきたのであり、事故が発生せずに忘れられていても、私たちは安全運転を訴え続けている。
 交通安全活動に対して本気で考え、本気で取り組む活動をしている人や団体がノーベル賞を受賞すれば、世の中の考え方も変わっていくに違いない。しかし、愛知県安全運転管理協議会と地区安管の活動がノーベル平和賞を受賞すること、それは想像ではなく空想にすぎない。
 しかし一方では、ノーベル賞とは無関係に、多くの社会活動が社会を豊かにするものとして存在し、その価値が認められている。スポーツや音楽などの芸術がそうであり……と考えていたら、ノーベル文学賞はボブ・ディランが受賞したと伝えられた。
 物事の価値とは、それぞれの人の想像力によって創出され、それに基づいた行動によって社会的に評価される。
 交通事故によって失われるのは、人の命であり、自由である。つまり、交通安全の価値を認めることとは、自由の価値を認めることと同義であり、それは人生の価値を認めることに等しい。
 すなわち、交通安全の価値とは、そこに自由と同じほどの価値を認めて自ら行動する人の人格の価値のことであり、そこに存在するものは人の理性と想像力、そして誇りであって、ノーベル賞ではない。