警察署長時代のこと……、副署長が珍しく腕を組んで考え込んでいた。彼は、刑事の現場を走り続け、明晰で判断も速く、信頼できる人物である。
「どうした?」と声を掛けると、「実は、一時停止場所での取締りに苦情が寄せられているのですが、……」と歯切れが悪い。「どんな場所であれ交通違反を看過することはできませんが、それだけでは申出者を納得させることができないように感じるのです」
[苦情]見通しが良く、事故もない一時停止場所で検挙をする必要があるのか。
(内容)一時停止違反で検挙されたが、その場所は見通しも良く、私は徐行しながら車が来ないことを確認して通過した。確かに、その場所には一時停止の標識があるが、事故もない場所で取締りをする理由は何か。違反や事故を防ぐなら、交差点の真ん中に警察官が立っていればいいではないか。……
苦情の書類を読み終えると、私は話し始めた。
警察官の取締りは、その場所の事故を防ぐことだけが目的ではない。交差点の見える場所に警察官が立っていれば、その場所の違反や事故を防ぐことはできるが、管内全域の事故を防ぐことはできず、将来の安全な交通環境を実現することもできない。
次に、「見通しの良い場所で徐行して左右の確認をしたから事故にはならない。そんな場所で一時停止をする必要はない」について。
確かに、そのドライバーはその時に、その場所で止まらなくても事故にならなかった。そもそも、車さえ来なければ、一時停止場所で止まらなくても、赤信号で交差点を通過しても事故にはならない。
交通事故の約25%は出合頭の事故であるが、その時、左右から車が来ることを知りながら交差点に進入したドライバーはいない。車が来ていることに気付かなかった、車は来ないと思っていたから交差点に進入し、衝突したのだ。左右を確認したのに、左右の車に気付かなかったからであり、人の確認行為にミスが避けられない以上、確認をするだけで事故を防ぐことはできない。
つまり、出合頭の事故を防ぐためには、「止まること」が必要なのだ。確認のミスをなくすことは誰にもできないが、止まることは誰にでもできる。ならば、どれほど見通しが良くても、車が来ないと思っても必ず止まること、これが出合頭の事故を防ぐ唯一の方法なのだ。一時停止場所を左右を確認する場所だと考えるから、停止線を越えて左右を確認できる場所まで止まらずに進み、出合頭の事故を起こしている。一時停止場所とは、確認するための場所ではなく、止まるべき場所である。一時停止場所とは、見通しが悪くて左右が確認できなくても、停止線の手前で確実に止まることによって出合頭の事故を防ぐ場所なのだ。
そもそも、交通違反の取締りとは違反者を咎めることではない。交通事故を減らし続け、理想的な交通環境を実現するためにはどんな違反をどのように検挙していべきかを常に考えながら、必要な取締活動を粘り強く続けていくことだ。私たちが目指すべきは、取締活動の積み重ねによっていつか誰かの事故を防ぎ、誰かの命を守ることなのだから……
私の話を聞き終えた副署長、「私はこれまで取締りの必要性や効果について深く考えることはありませんでした。でも、署長の説明を聞いて本当によくわかりました。これからは交通取締りも本気で取り組みます」と笑顔で答えてくれた。
その副署長は既に警察署長として活躍しているが、事件捜査は言うに及ばず、交通事故対策、取締活動の指揮も的確で迷いはない。優れた部下を持つことの幸せを感じながら、私を追い越して遙か先を行くその後ろ姿に、私はエールを送る。