交通安全の価値

2021年 1月号

 私たちが目指している交通安全とは何か、共有しようとしている交通安全の価値とは何のことなのか?それは、失われた命の数のことではなく、残された人たちの悲しみの数のことでもない。
 交通安全活動の目的とは、事故が減り続けることではない。そもそも交通事故の減少とは、目的ではなく手段にすぎなかったはずである。
 交通安全、その価値とは、満足することではない。交通安全の価値、それを共有することとは、私たちが交通事故の当事者とならないことを通じて互いに支え合う交通環境を創り上げる、そんな社会を実現するために果たすべき私たちの役割のことではないのか。
 
 幸せとは、失われて気付く現実のことである。つまり、私たちが目指す交通安全を実現するための出発点として、一人でも多くの人たちと共有しようとする交通安全の価値とは、今ここにある幸せという現実を失わないために私たちが培ってきた知恵のことである。
 権利とは、わがままが許されることではない。それは、互いを尊重することによって認められるもののことである。そして義務とは、負担のことではない。それは、互いを守るために必要なもののことである。
 私たちは生きていくために息を吸うが、吸った息は吐かなければならない。息を吸うことも息を吐くことも権利であり、義務なのだ。つまり、権利とはわがままが許されることではなく、義務とは負担を強いられることではない。
 
 道交法を守ることが交通安全だ、違反しなければ安全運転なのだと考えるのは独りよがりの思い込みに過ぎない。
 安全運転とは、誰かの過失が事故に発展することを回避させるほどの注意力と安全意識を持って運転することである。自分が優先だからと漫然と交差点を通過するのではなく、右折待ちの車両の動きにも注意して通過することである。横断歩道ではない場所における子どもの飛び出しや高齢歩行者の横断でも、これを察知して事故を回避する運転のことである。
 優先であることが権利なのではなく、ドライバーには常に事故を防ぐための義務がある。事故の過失割合が重要なのではない。どちらが悪いのかではなく、ドライバーとして交通事故を避けるための安全運転を続けることこそが大切なことなのだ。
 
 交通安全の価値とは、高価なものでも希少なものでもなく、ありふれたものである。しかし、ありふれたものを大切にすること、ありふれたことを考えることは無駄ではない。ありふれたものを大切にすること、考え続けることによって心は変化するからである。
 そこに価値を見いだすことで心に変化が現れ、行動が変化していく。それが人として進化することであり、進化することによって自分の人生を豊かにし、自分や家族、そして誰かの人生を守ることができる。そして、それを一人でも多くの人たちと共に実現していくことを通じて、私たちは新しい安全な交通環境を創造することができるのだ。
 つまり、安全運転の目的、交通安全の目的、交通安全の価値の共有とは、交通事故を減少させ、誰かの命を守るだけではなく、新しい交通環境を創り上げ、新しい社会を創出するという目的に向けた私たち自身の決意と行動のことなのである。