大人と子どもと老人と

2018年 4月号

 先人は、いつの時代も大人の社会を築こうとしていたはずである。大人の社会とは、その時代の課題を克服しようとした時、できない人に求めるのではなく、できる人がそれを補う社会のことである。

 人は誰でも齢を重ねることによって衰えを生ずる。肉体的にも精神的にも衰えていくが、それは世の習いであり、必然である。しかしどれほど肉体が衰え、精神が衰えたとしても、その人が人としての尊厳を損なわれることはない。
 夜は出歩くな、黒い服を着るな、反射材を身に付けろと言われてできる人は交通事故に遭わない。言われてもできないから、夜、黒い服を着て、反射材も身に付けずに出歩き、そして事故に遭う。
 交通事故を減らす、死亡事故を無くすという大きな課題の前で、できない老人に求めるのではなく、できる人がそれを補う交通環境を目指すことが必要である。そして、できる人、老人のできない部分を補うべき人とはドライバーのことである。
 交通事故は過失の競合であるが、その割合によって善悪を論じるのではなく、その過失を抑えることによってその事故を回避することを目指す。過失を抑えて事故の回避を目指すべきはドライバーの役割である。

 交通事故を減らし、死亡事故を無くすという課題を克服して新しい交通環境を作り上げるためには、その対策を実行するために必要とされる社会的コストを考える必要がある。社会的コスト、すなわち、必要とされる時間と労力の大きさは、実現可能性に反比例する。そのため、将来的に社会的コストが増大する対策では、その目的を実現する可能性が低いことになる。
 高齢者は今後更に増加し、高齢者の行動に委ねる対策の社会的コストは加速度的に増加する。だからこそ、ドライバーの意識を変え、これまで以上の安全意識を求めていくことが必要なのだ。
 暗い夜道をロービームのまま時速70km/hで走行していていれば、その前を横断する歩行者を避けることはできない。ロービームの照射距離は約40mであり、時速70km/hの停止距離は約47mである。前方を注視していて瞬時にブレーキを踏み込んでもなお、歩行者をはね飛ばして進み、車はようやく停止する。その事故の過失割合を議論するのではなく、その事故を回避する方法を考えなければならない。
 ハイビームの照射距離は約100mであり、時速40km/hの停止距離は約20mである。夜間に発生する歩行者との事故は、ハイビームを活用し、速度を抑制すれば回避することができる。ならばそれをドライバーの義務だと考えるべきであり、事故回避のための運転行動を私たちの標準とすべきである。

 「世の中」という言葉について、新明解国語辞典(第5版)は、「同時代に属する社会を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎しみ会う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。」と定義した。
 子どもは大人や老人に守られ、育てられて大人になる。大人は子どもを育て、老人を守り、社会を支えてまた、老人になる。

 互いに支え合う成熟した交通環境を創り上げていくこと、これこそが現代を生きる私たちの課題であるが、それは私たち自身の考え方を変えることで実現できる。新しい春、今年も新年度を迎えるが、これまでどの世代も実現できなかったこと、新しい交通環境を築く、その第一歩を見据えていたいと思う。