子犬のしつけ、妻の……

2024年 11月号

 幼犬が夜泣きをすると友人が嘆いた。夜、寂しそうな声で泣くので、そのたびに奥様が寄り添い、声をかけているのだという。時には朝まで奥様が添い寝することもあると聞いて苦笑した。我が家でも昔、同じ光景が繰り返されていたことを思い出したからだ。
 犬のしつけに詳しい知人が説明してくれた。「犬は寂しいと泣きますが、泣いて飼い主が来てくれることを学習し、これからも泣きます。夜泣きを止めさせようと思うのであれば、我慢して泣き止むまで放置することです」
 自宅に帰り、妻にその話を伝えたところ、妻は真顔で答えた。「そんなことしたら、かわいそうでしょ!」
 あ、そうなのだと、私は納得した。子犬のしつけは難しいが、妻を教育することとは、その何倍も困難なことなのだ。当時、私は子犬のしつけをあきらめたのではなく、妻を教育することの限界を感じていたのに違いない。
 
 さて、若者の飲酒運転が増加傾向を示していると県警幹部が嘆いていた。それはそうだろうと私は思う。少子化世代の若者にとって、飲酒運転は交通違反のひとつに過ぎないからだ。飲酒運転など許されざる犯罪だという感覚、それを現代の若者が抱くことはない。
 核家族化、少子化によって、子どもたちの生活環境そのものが変化した。兄弟は少なく、近所の子どもたちと遊ぶ機会はなくなった。学校と学習塾を往復し、両親と先生以外は同年代の友人関係だけが存在している。
 そのため、年齢・世代の異なる上司・先輩とのコミュニケーションが苦手であり、自分から見える世界を尊重し、外側から自分の存在を考えることに価値を感じない傾向がある。
 その昔、私たちは車を運転することに憬れを抱き、誇らしい気持ちを感じていた。そして、憬れと誇らしさは、私たちに運転行為に対する慎重さも与えてくれた。しかし、少子化世代の若者にとって、運転すること、それは単なる移動手段に過ぎないのだ。
 
 昔は暴走族が存在した。暇をもてあました若者にとって、他にすることがなかったからである。しかし、ネットワークの進化、特にスマホの普及・進化によって、現代の若者は、自分だけの世界で過ごすことができるようになった。わざわざオートバイを改造して仲間を募り、爆音をまき散らして走り回る必要などなくなった。
 少子化世代の若者にとって、車が移動手段に過ぎないのであれば、その運転行動に価値を認められないのは当然である。
 自分は気をつけているから大丈夫、皆がする違反なら、見つかれば運が悪いだけ。事故しても、運が悪い、相手も悪いから仕方ない。そんな考えを持って育ってきた若者の運転に関する価値観とは、現在の中高年世代とは大きく異なっている。
 
 少子・高齢化といわれるが、高齢者は昔から存在した。その数が増えただけである。しかし、少子化の時代とは、これまでには存在しなかった新たな価値観を持った若者が社会に登場し、増え続けていくということであり、私たちが、私たちの社会が経験したことのない大きな変化をもたらすはずである。
 高齢化は交通事故死者数の増加を誘因するが、少子化は安全意識そのものの低下をもたらし、回復困難な影響を与え続ける。
 そのため、今後、若い世代に対して交通安全の価値を伝え、安全運転管理を行うことは、これまで以上に困難な課題となり、過去の経験則だけでこれを克服することはできないはずである。
 しかし、と私は顔を上げて思い直す。価値観の異なる若者の指導が困難であるとしても、自分の妻に教えることに比べれば、それは決して解決困難な課題なのではなく、実現の可能性を見出すことができるはずなのだ。