必要な高齢者対策とは?

2017年 3月号

 高齢者の交通事故が増えたのは高齢者が増えたからなのに、高齢者が悪いように誤解されることがある。高齢化社会という言葉は誰もが知っているが、この十年間で県内の高齢者人口(65歳以上)が約48%も増えたこと、免許人口は約85%も増えたこと、この十年間で県下の人身交通事故は約27%減少しているが、人口の増加を加味すれば高齢者の交通事故はそれを9ポイントも上回る約36%も減少していること、この現実を知っている人はほとんどいない。
 さて、高齢者対策として講じられている施策のひとつが反射材の着用であるが、その着用率は甚だ低い。夜間に発生した高齢歩行者の死亡事故は平成26年に21人、27年に29人、そして28年には31人と多く発生しているが、反射材を着用していた人は一人もいなかった。これまで、県下各警察署で山のように反射材が配られているはずなのに、誰も身に付けていなかったこの現実をどう考えるのか。そして、着用しない高齢者を悪者にするのではなく、何故付けないのかを考え、着用するための方策を考えなければならない。
 これまで、高齢者に対して夜間は出歩くな、黒い服を着るな、反射材を付けよと広報してきた。しかし、言われる高齢者の立場からすれば、悪者にされたようで納得できないのではないか。そして、大半のドライバーがそうであるように、高齢者自身も「交通事故?私は大丈夫」だと信じている。だから反射材をしまい込む……。
 過去もそうであったように、それぞれの時代において人は果たすべき役割を担っている。ドライバーは、この十年で高齢者が急増している現状を踏まえた運転を行う義務がある。それは、暗い道を黒い服を着て歩く高齢者を発見し、回避すること、そこまでが現在を生きるドライバーの義務であり責任であるということだ。高齢者を悪者にするのではなく、高齢者とはそうした行動をとる人であることを前提とした運転行動こそが現代のドライバーの義務であり、責任なのだと理解する必要がある。
 そして高齢者は、私は大丈夫だと思っていても、ドライバーから見やすくするという歩行者としての責任を果たすために、反射材を身に付ける義務があるのだと考える。現代に生きる社会人としてのそれが高齢者の義務なのだ。
 そして何よりも、反射材の着用とは、高齢者だけではなく子供も大人も、すべての世代において、そして一日中身に付けるだけの価値がある施策であることを理解すべきである。