悲しい声

2021年 2月号

 今から40年前、1件の交通死亡事故が発生した。
 愛知県下の交通死亡事故は、昭和44年の912人をピークに減少傾向を示したものの、昭和55年から反転増加しており、交通死亡事故とは毎日どこかで発生している出来事のひとつだった。
 
 冬の寒い日だった。新任の警察官として交番で勤務していた私は、指示を受けて病院に向かった。「小学生の交通事故が発生。意識不明、重体の様子。君は病院へ行き、家族から事情聴取せよ」
 私が到着した時、その男の子は既に息を引き取っていた。霊安室の前で、私はご家族の到着を待った。ほどなくしてお母さんが駆けつけ、室内に入っていった。
 お母さんはしばらくの間、お子さんの顔をなで、体をさすり、名前を呼び、話しかけていた。「○○くん、どうしたの? 大丈夫? 寒くない? 一緒におうちに帰ろうよ。 ‥‥」
 やがてその声が止まった。そして、静かに大きく深呼吸をすると、一時の間を置いて、意を決したように、体の底から絞り出すように、悲しい悲しい声をあげた。
 その声はとても小さな声であったが、冬の冷たい病院のコンクリートの隅々まで染み込む冷たく悲しい声だった。
 
 あのお母さんは今もお元気でいらっしゃるのだろうか。あの日から40年間、決して終わることのない悲しみと向き合って生きてこられたに違いない。お子さんのことを思い出さなかった日などなかったに違いない。
 40年間、毎日、その悲しみと向き合って生きてきたその人生は、幸せであろうと不幸であろうと、それがあの母親の人生である。交通事故とは、幼い子供の命とその人生を奪い、母親を悲しみの底に突き落とすだけではなく、母親の命が尽きるまでその悲しみを突きつけ続ける現実のことである。
 心の痛みはやがて薄らいでいくが、その記憶が失われることはなく、その悲しみが消えることはない。我が子を交通事故で失った悲しみ、その記憶を消し去ることなどできるはずがない。
 あの事故がなければ、穏やかな日々を過ごされたことだろう。お孫さんに囲まれながら、これが当たり前の日々だと思って過ごされていたのだろう。しかし、その穏やかな幸せを取り戻すことはできない。失われた命、失われた時間を取り戻すことなど、誰にもできない。そして、これからも生きている限り、毎日、その悲しみと向き合って生きていくのだ。
 私はあのとき、決めた。この母親の悲しさ、この悲しい声を忘れてはいけない。警察官として生きていく限り、私の体の指先まで染み込んだこの悲しい声を決して忘れないと決意したのだ。だから今も、いつでもその声を聞くことができる。
 
 私たちにとって交通事故防止という課題とは、その件数ではない。私たち自身が、私たちの家族が、交通事故の加害者にも被害者にもなってはならないという現実のことである。 
 交通事故は、安全機能の進化や交通安全対策の積み重ねによって減少傾向を示してきたが、私たちが期待する安全で快適な交通環境とは、ドライバー自身の力によって達成すべきものであったはずである。
 そして今、交通事故という現実と向き合い、ひとつひとつの交通事故を防ぐ価値を認め合うこと、つまり、交通安全の価値を共有することによって、私たちは過去のどの時代にも実現することができなかった本当に安全で快適な新しい交通環境を私たち自身の力で創り出すことができる時代を迎えている。