支え合う社会、人を守る車

2023年 2月号

 交通安全活動、安全運転管理とは、交通事故を減らすことを目的としている。そして、交通事故が発生したときに行われる原因の究明とその対策とは、将来に向けた同種事故の抑止を図り、交通事故総量の抑制を目指すものである。
 ただし、その原因究明とは、誰が悪かったのかという犯人探しではなく、誰かを悪者にして結論づける事故評価でもない。
 
 高齢歩行者の交通事故が発生すると、記事は「横断歩道ではない場所を横断していたとみられている」などと結ばれ、あたかも高齢者が悪かったような印象を与える。
 高齢者は永年の経験が大きな自己過信を生み、危険を避けることができなくなる。黒い服装を好み、暗くなっても反射材などを身に付けることもなく、横断歩道ではない場所を平然と渡る。これが高齢者の現実である。
 また、「子どもが道路に飛び出し、車は止まれずに衝突した」というニュースを聞くと、多くの人は子どもの飛び出しに事故原因があると結論づけ、自分の子どもに「飛び出すと危ない、気をつけなさい」と伝えて終わる。
 しかし、子どもは飛び出すことの危険を理解できないため、「飛び出すな」と教えられてもその危険であることの意味が理解できず、道路に飛び出してしまう。
 成長するに伴って危険感受性が高まり、道路を横断する場合には左右の安全を確認するようになるが、感受性が未熟な子どもに対して、飛び出すことを叱るだけで交通事故を防ぐことはできない。
 
 交通事故の発生を伝える報道は、その事故原因について、どちらが悪かったのかという結論を急ぐ傾向がある。そのため、多くの読者・視聴者は、事故の原因は歩行者にあると思い込み、自分の運転行動を改めようとは思わない。その結果、ドライバーの運転行動はいささかも変化せず、事故は繰り返されていく。
 歩行者の事故を防ぐ、減らすために必要なこととは、高齢者の行動を批判したり、子どもを叱ったりすることではない。その批判や叱責がいかに的確であったとしても、それによって導かれる考え方では、交通事故を減らすことなど実現できないということである。
 そして、どちらが悪かったのかなどという議論に私は関心をもたない。その事故を防ぐためにはどうすればよかったのか、何ができるのか、それだけを考えている。
 
 私たちの社会は、支え合うことで構築されている。大人が子どもを守り、強いものが弱い者を守り、できるものができないものを支えている。
 交通環境は社会全体の基盤であり、私たちは支え合うことによる安全で快適な交通環境の実現を目指している。道路は誰のものでもない。人と車が、車と車が交錯する中で、交通事故にならないよう互いに譲り合うことで成立している。
 ならば、できない高齢者や子どもの行動を批判するのではなく、私たちドライバー自身がより高い安全意識を持ち、高齢者や子ども、歩行者の安全を支える運転を続けることが必要である。
 支え合う交通環境を目指すことによってのみ、私たちは歩行者の命を守ることができる。そのためには、「車が人を守る」ことをドライバーの基本的な義務として習慣化することが必要である。
 それは決して困難なことではなく、それこそが人の命や人生を守るために必要な私たちの課題であるが、既に多くのドライバーはその必要性に気づき始めている。
 今、この課題を克服するために必要なものは知識ではない。私たちに不足していることとは、それを自ら決意し、実行することだ。