最低の道徳とスマホ運転

2017年11月号

 四十年余も昔、「法は最低の道徳である。」という言葉を学んだ。 道徳は守られるべきであるが、守らなくても非難されるに過ぎない。しかし、社会的非難だけで社会の規律を維持することはできず、非道徳的な行為のうち、反社会性の強い行為に対しては強制的な処罰が必要となる。例えば、悪意を持って人を殺したような場合、道徳的非難だけで社会秩序は維持できない。そのため、国は法律という名の下に殺人罪を定め、これに基づいて犯人を逮捕し、懲役を課し、場合によっては死刑を執行する。
 道徳という守られるべき人の行為のうち、社会的に処罰が必要とされる最低限度の行為を示したものが法律であり、それは人として守るべき最低の道徳といえる。

 さて、スマホ運転についてであるが、英国はスマホ運転に関する処分を厳罰化したという記事を読んだ。英国で運転免許の取消処分を受けるのは、免許を取得して2年以内の場合は6点、それ以外は12点になったときである。スマホ運転の違反点数が6点と強化されたため、免許取得2年以内の人は1回で取消、それ以上の人でも2回で取消となる。しかも、赤信号などで車が止まっているときに操作しても違反とされるとのことであった。
 日本の場合、過去に処分歴がなければ、取消処分を受けるのは15点になったときである。一般的な携帯電話の使用は処分点数1点にすぎない。それどころか50km/h以上の速度違反が12点、酒気帯び運転の0.15mg以上0.25mg未満が13点であるため、こうした悪質な違反行為を行っても、処分経歴がなければ、免停処分は受けても取消処分を受けることはない。

 社会環境の変化によって、子供たちは家族以外の人たちとの関係が希薄なまま成長し、遊びも、友人とのコミュニケーションもその手段はスマホになった。その結果、若者たちのスマホ依存度は、中高年者層には想像できないほど強いものとなっている。そんな若者らが、車を運転しているからと素直にスマホから離れるとは考えられないし、考えるべきではない。
 まして、日本の場合は、「停止しているときを除き(道交法第71条第5号の5)」であり、法が禁止していない信号待ちのときに使用することは当然だと考えている。

 事故統計資料でもスマホ運転による交通事故の増加が伝えられているが、それはまさしく氷山の一角である。スマホの使用が原因であっても、スマホ使用について申告されない事故が急増している。過去に死亡事故が発生したからだけではなく、将来の交通環境に深刻な悪影響を与える行為として、私たちは強い危機感を持たなければならない。
 多くの人は、普段は国による法の規制を忌み嫌いながら、事故があれば法の不備を指摘して国や政府を批判するが、最低の道徳である法がなくても、私たちは私たち自身の叡智によってその危険を回避すべきである。
 県下の安管事業所がスマホ運転の徹底排除を意思決定し、管理車両においてスマホ運転を排除する。次に通勤車両においてもその取り組みを広げ、更には家族を含めた取り組みとして実行する。
 将来、スマホ運転によって大きな事故が発生したときに、法整備の遅れを嘆き、国や政府を批判するのではなく、今から、私たちの基本的な取組として実行することが必要であり、そうすることによって、私たちは交通安全活動の可能性を証明することができるはずである。