平成26年春、K署長として歩行者保護運転を提唱し、横断歩行者妨害違反の検挙活動を開始した。しかし、多くのドライバーにとって、横断歩行者妨害違反そのものに対する理解が乏しく、不満や反発の声が聞こえてきた。そんな頃、顔見知りの記者が署長室を訪れ、こう切り出した。
「署長の方針である歩行者保護運転の重要性は理解できます。しかし、検挙活動を優先させることはドライバーの不満や反発を招き、警察活動としての理解を得られないのではありませんか?
当分の間は指導警告を継続し、重大な違反としての認知が高まってから検挙活動に移行させることが必要なのではありませんか。
失礼を承知で申し上げるなら、署長はご自身の退職までに、何か成果を示そうと思っていらっしゃるのではありませんか?」
「率直な質問を嬉しく思う。だから私も率直に答えよう。結論を申し上げるなら、今、そうしない限り、歩行者の命、ドライバーの人生を守れないからです。
私は、ドライバーの安全意識を向上させることによって運転行動を変化させる、ドライバー自身の進化によって、交通事故のない交通環境を実現していくことが必要なのだと考えているのです。
警察署長として最後の一年半、そこで残したいものとは、一時の成果ではありません。私が残したい、残さなければならないと考えているのは、それに向けた最初の、そして確実な一歩です。
しかし、安全意識の変化などは抽象的で数値評価できず、常に交通事故が減少傾向を示すとは限りません。しかし、成果・結果の評価が困難な警察活動であっても、それが必要な施策・対策である限り、それを継続することが大切であり、成果が見えなくても決して引き返さないという覚悟が必要なのです。
指導警告を10年間続けても、ドライバーの意識、その運転行動を変化させることはできませんが、検挙活動を継続することでドライバーの意識と運転行動の変化を促すことは可能なのです」
「だとしても、歩行者の事故を防ぐためには、歩行者自身も道路交通法を守り、夜間は明るい服装に努めることなどが必要です。歩行者に対する指導をなおざりにして、ドライバーばかりに事故防止を強要するのは不公平ではありませんか」
「確かに、歩行者の安全意識を向上させることも必要ですが、ほとんどの歩行者事故とは、ドライバーの安全運転によって避けることができるのです。まず最初に実現すべきは、歩行者保護を基本とするドライバーの安全運転です。
そして、死亡事故・重大事故の加害者とは、無謀な違反を繰り返すドライバーばかりではありません。その大半は、私たちのようにごく普通のドライバーであり、事故の結果、被害者の命だけではなく、私たちの誰かがその人生を失うことを忘れてはなりません」
歩行者保護運転を基本とする、そのための検挙活動を行うべき現在とは、ドライバーだけではなく、検挙活動を継続する警察官にとっても辛い時期なのだと思います。警察官は、検挙することが楽しいのではありません。交通事故を防ぐための必要な活動として、文句を言われながらも検挙活動を続けているのです。
歩行者保護運転を実現するための横断歩行者妨害違反の検挙活動、それが歩行者の命を守り、ドライバーの人生を守るために必要な警察活動であることが理解され、現実となることを通じて、歩行者の安全意識も高まることが期待されます。
歩行者保護運転を出発点として、歩行者・自転車・ドライバーが支え合うことによって実現される安全な交通環境こそ、誰もが期待する私たちの社会の姿であり、その実現に向けた警察活動は理解と共感、そして支持を得られるはずなのです