若者の意見

2023年 7月号

 大学の法学部で講義をする機会をいただいた。現代社会と道路交通法の役割について、“交通安全の価値を考える”と題し、「自動車の安全機能が急速に進化している現代こそ、私たちドライバー自身の安全意識を高めて事故を防いでいくべき時代を迎えている」と伝え、高齢者の免許返納制度についても言及した。
「高齢者の事故が喧伝されているが、高齢者の交通事故を減らすためには運転させなければいいという単純な考え方は危険である」と説明したところ、学生から多くの反対意見が出た。
 反対意見の大半は、「老後の生活のために運転して、事故を起こしてしまえば本末転倒ではないのか」という趣旨であり、若者らしい率直な意見を嬉しく、心強く聞いた。

私は説明した。
 「自動車を運転することとは、人として生きていくために必要な行動のひとつであり、その必要性・重要性は人それぞれによって大きく異なります。それを画一的に議論して○か×かと択一的な結論を出すべき問題ではありません。
 事故を減らすために高齢者は運転するなという対策は、複雑な問題を簡単に整理して解決しようとしています。それは解決ではなく、単なる処理にすぎません。解決とは誰もが納得すること、処理とは結論を押しつけて我慢させることです。
 複雑な課題を解決することとは、内在する問題のひとつひとつと向き合い、それぞれの答えを見いだすことを積み重ねることなのだと思っています。
2022年5月から、75歳以上の高齢ドライバーの免許更新時、3年以内に一定の交通違反があった者には実車試験が導入されましたが、これは必要な制度だと考えています。認知機能や運動機能の低下によって具体的な運転技能が現実的に低下しているのであれば、そもそも運転することを認めるべきではないからです」
 
その他の意見として、「そもそも誰もが簡単に取得できる免許制度そのものが問題ではないか」という指摘もありました。
 私は率直な意見を伝えました。
 「例えば、免許証の取得に運転適性検査を入れたり、粗暴犯罪を犯した場合にも取り消しができるようにするなど、安全意識の乏しい人に免許証を与えない、早期に取り上げる施策は事故抑止に大きな効果が期待できます。しかし、私たちの社会は、事故を減らすためであれば運転免許を厳しく規制し、取り上げても良いとは考えていないのです。
 人はそれぞれ、生きていかなければなりません。免許証を奪われた人たちが仕事を失い、生活が困窮し、生きるために犯罪を繰り返す可能性、その現実についても考えておく必要があります。
人の命は地球よりも重い。しかし、事故さえ減れば良いという一面的な考え方では、それぞれの世代、様々な人たちが支え合う社会を実現することなどできません。
 高齢者の運転に関する課題とは、単に事故を起こす可能性の問題ではないのです。高齢者だけではなく、すべての世代の人たちが自由に安心して暮らせる社会の実現という、将来に向けた私たち社会全体の在り方に係わる課題なのです」
 
 高齢者の事故が多いから運転するな、免許を取り上げるという短絡的な発想ではなく、多くのドライバーと安全意識を共有し、事故を防ぎ、減らし続けていくことを考えなければなりません。
 私たちはこれまで以上に想像力を発揮して考えることが必要なのだと思います。簡単に答えが出なくても、考え続けることが大切なのであり、私たちにとってそれこそが複雑で困難な課題を解決する唯一の方法なのだと思っているからです。