齢を重ねると「時間の経つのが早い」と感じるようになるが、その理由について教えられたのは、ふたつだった。ひとつは記憶の量が変化すること、もうひとつは記憶の質が変化すること。
人の記憶は4歳から始まるとされているので、人の全記憶の期間とは、10歳の子どもでは(10-4=)6年間であり、60歳の人では(60-4=)56年間ということになる。となると、1年間という期間の長さは、10歳の子どもにとっては全体の1/6であるが、60歳の人ではわずか1/56にすぎない。したがって、同じ1年間という期間であっても、大人と子どもでは記憶全体の中で占める割合が異なるため、期間(時間)に関する記憶の印象が変化するという。
もうひとつは、記憶の質の違いだと説明を受けた。子どもの頃はいろいろな出来事が目新しく、初めての経験が多いため、それぞれ強い印象を受けることによって記憶に深く刻まれる。しかし、年齢を重ねることによってほとんどの出来事が周知のこととなり、日々繰り返される日常生活の中で記憶に刻み込まれるような新鮮な出来事は稀となる。その結果、1年間を通じて記憶に残る思い出の量は加齢に伴って少なくなり、その期間に対する感覚が変わる。たくさんの出来事が記憶に残ればその期間は長く感じられ、ほとんど記憶に残る出来事のない場合にはその期間を短く感じる、とのことである。
そして、若者が急ぐのは、時間を経験していないからだとされる。20歳の若者には16年分の記憶しか存在しないため、16年間という時間がすべてである。しかし、68歳の人は64年、その4倍もの時間と人生を経験しており、しかもその先の時間も人生も想像できるようになっている。しかし、若者にはその経験がないため、その先は未知の時間と人生である。だから十分な時間と経験を積むことを急ぐ。加えて、人格の未熟さが故の規範意識の弱さ、セルフコントロールの弱さがある。
いつの時代も若者は危険な行動を取るリスクテイキングであるが、それにはこうした理由がある。
高齢者の事故が多発していることが強調されているが、高齢者の事故が多発する理由は高齢者が増えたことにある。そして、これからも高齢者が増加する中で、高齢者の事故対策が急務であることは確かである。
しかし、人口比で減少していないのは一般成人、若者の事故である。若者は車離れによって運転する機会が減少し、更に人口も減少しているため、その事故件数は自然に減少して目立たなくなっているが、実質的に減っていない。そして、スマホ運転(ながらスマホ)が急増し、今後、対策として重点を指向すべきは若者への指導であり、その安全運転管理である。
スマホ運転(ながらスマホ)を止めなさいと指示するだけで管理者の仕事は終わらない。指示されただけで若者がスマホ運転をやめるはずがないからである。そして、指示したのに従わなかった若者を叱責することはできるが、その結果として発生した事故をなかったことにすることはできない。
発生させないためには、若者の特性を理解した指導・安全運転管理が必要である。それは難しい課題であるが、私たちはそれに向き合って知恵を絞らなければならない。
今年も師走を迎えた。私たちの先祖の時代においても、時の大人や老人たちが若者の現状を憂い、その行く末を案じて思案していたように、新しい年に向けて私たちも課題と向き合い続ける覚悟が必要なのだと考えている。