見えていない場所

2024年10月号

 「だって、見えなかったんです」……これは、交通事故の加害者の説明として頻繁に聞かされる言葉です。
 そしてそれに続く言葉(本心)とは、「見えなかったから、仕方がない」「私のせいではない」「私は運が悪かった」、……。しかし、こんな気持ち、そんな考え方で運転しているのでは、事故を避けることなどできません。
 例えば、対向車線の渋滞の陰になって横断歩道が見通せないのであれば、減速する、徐行する。それでも見えないのであれば、止まってでも歩行者がいないかどうかを確認すること、それがドライバーとして行うべき運転行動です。しかし、事故を起こしても、見えなかったことを理由にして平然としている、自分の責任の重さを理解していないドライバーは少なくありません。

 私たちは、見えないもの、見えていない場所に対する警戒心が不足しています。見えている場所だけの安全を確認して安心し、それでドライバーとしての責任を果たしたと勘違いしているのです。それは大変な思い違い、勘違いであることを知らなければなりません。
 自分の見えている場所だけではなく、その先の見えない場所、見ていない場所にこそ大きな危険が潜んでいること、それに対して警戒心、危機感を抱く力が不足しているのです。
 
 見えない場所、見ていない場所への危機感の不足は、夜間の走行方法、ハイビームの活用にも表れます。
 先行車も対向車もいない郊外の道路において、ロービームのまま走行する車両は少なくありません。知識が不足しているのではなく、ロービームのままでは約40m先しか見えていないこと、その先の状況が見えていないことに不安を感じないという、その危機感が不足しているのです。見えている約40mの範囲に人や歩行者がいなければ安心して走行する、その先の見えていない場所への危険性を感じていないことが問題なのです。
 ロービームのまま時速60km/hで走行すれば、その先に黒い服装の人が立っていても、発見して停止することはできません。その歩行者と衝突してから車は止まります。
 私は大丈夫という自己過信、これまで事故をしなかったという成功体験を理由にして、ほとんどの車、ほとんどのドライバーはロービームのまま平然と走行を続けています。そして、誰かが歩行者と衝突して事故を起こします。しかし、それが軽傷で終わるか死亡事故に発展するかを、ドライバーが選択することはできません。
 それが軽傷で終わっても、死亡事故に発展しても、その事故を回避しなかったドライバーは、その責任を免れることはできません。
 「見えなかったから(仕方がない)」という供述をしても、そんな言い訳で罪を免れることはなく、失われた命は帰らず、失った自分の人生を取り戻すことはできないのです。
 誰でも死亡事故の加害者になるのです。悪意を持って暴走しなくても、私たちの不足している危機感、警戒感が事故を引き起こし、時にその命を奪い、自分の人生を失うという事実、現実について、今のうちに考えてほしいのです。

 見えない場所の安全が確認できない場合には、減速・徐行・停止して安全を確認すること、夜間はハイビームを活用して危険に対応できる視野を確保すること、速度を抑制して事故回避の可能性を高くしておくこと、こうした安全運転の基本動作を繰り返し、習慣にしていただきたいと思っています。
 運転中に私たちが見ている場所、見えている安全とは、ほんの一部にすぎません。その先の、見えていない場所、見ていない場所の危険を予測すること、それが安全運転には不可欠なのだと考えているのです。