そもそも自動車はぶつからない。止まれる速度で走行し、適切なハンドル操作とブレーキによって、事故を回避することができる。
同一平面(地上の道路)を移動する人、自転車、自動車が同時に交差することで衝突し、事故は発生する。これを避けるためには、互いに譲り合うことが不可欠であるが、それを忘れたときに交通事故は発生する。
そして、加害者であるドライバーは、自ら果たすべき義務と責任を忘れ、様々な言い訳を繰り返す。
1 横断している歩行者が見えなかった
見えなかったのではない。見ていなかっただけだ。
運転中に漠然と前を見ているだけでは、見えているはずの危険に反応できない。これが私たちの目と脳の機能である。
例えば、運転中にハンズフリーで複雑な会話を続けると、事故回避能力は大幅に減少する。前を見てはいるが、会話に集中することで見えている危険に脳が反応しなくなるのだ。
運転中は、前方の安全を確認する意志を持たなければならない。ただ、前を見ているだけでは、横断歩道周辺の歩行者・自転車の動き、その危険を察知することはできない。
つまり、歩行者が見えなかったのではなく、見ようとしなかった、見ていなかっただけである。
2 (歩行者・自転車が)飛び出してきたから間に合わなかった
危険に対して、止まれる速度で走行していれば止まれたはずだ。
見通しの悪い生活道路の交差点で、自転車との出合頭事故が発生する。狭い道路から、自転車が止まらずに飛び出してきたから止まれなかった、とドライバーは説明する。
しかし、見通しの悪い交差点に進入する場合には、ドライバーには徐行義務がある(道路交通法第42条第1項)。法律の規定などなくても、その交差点を通過するに伴って安全確認ができないのであれば、減速・徐行して安全を確認するのは当然である。
つまり、間に合わなかったのではなく、間に合う速度まで減速、徐行して確認する義務を怠っただけである。
3 運が悪かった
悪かったのは運ではなく、ドライバー自身だ。
夜間発生した死亡事故の加害者が、こう供述した。「私は何年もこの道を同じように走ってきたが、事故を起こしたことはなかった。今回、たまたま私の車の前を、高齢者が黒い服を着て横断していたために、発見が遅れて衝突した。私は運が悪かった」
しかし、事故の捜査結果は、ハイビームを活用して前方を注視していれば、横断中の歩行者を発見し、その事故を回避することが十分に可能であったことを明らかにしていた。
避けることのできた事故を避けなかっただけであり、悪かったのは「運」ではなく、ドライバー自身である。
自分の不注意によって人を傷付け、時にその命を奪っておいて、そんな言い訳が許されるはずがない。しかし、過去、こうした言い訳が繰り返されてきたのは、私たちの社会がその言い訳を許してきたからではなかったか。
自分の安全意識を基準として、自分も加害者となる可能性を感じるために、ある程度の事故は仕方がない、歩行者・自転車にも責任があるという言い訳を認めてきたからではなかったか。
ドライバーが十分な注意力を持って運転していれば、ほとんどの交通事故は避けることができる。私たちは、安全運転を習慣とすることによって、新しい安全な交通環境を創り出すべきであり、言い訳など無用である。