費用対効果は、企業経営の現場では常に重要な課題である。しかし、警察行政・警察活動においてそれが深刻に検討されることは少ない。人の命の価値が無限大だからである。
では、交通事故を防ぐための費用対効果についてはどうか。交通関係の予算は「交通安全施設整備費」として定められているが、これは経費の話であり、特に警察活動におけるコストとして重要なものは、人件費ではなく警察官の活動時間のことである。そして、警察活動の効果とは、交通事故の抑止(減少)ということになるが、それは単純に算出できるものではない。
警察活動の効果は、必ずしも直ちに効果が表れるものではないからである。ある年の交通事故が減少したとしても、その前年に行った対策の効果だと断言できるわけでもない。また、安全で快適な交通環境の整備など、将来に向けた対策として取り組まれるものについて、その効果を算出することは極めて困難である。こうしたことが、警察活動における費用対効果の課題を複雑に、そして曖昧にしている。
5年ほど前、自転車事故対策を考えていた。事故を多発している世代は主に高齢者であるが、私が考えていたのは、中高生に対する徹底した指導・警告だった。私は交番・パトカーの若い警察官に指示した。
「中学生・高校生の自転車、特に、“ながら自転車”“ノーヘル”“無灯火”“二人乗り”“傘差し運転”、それらを見かけた場合、徹底的に指導・警告すること。
中高生が一度注意されたくらいで正しい自転車の運転を行うことなど期待していない。しかし、警察官に注意されたこと、「ダメだよ」「気をつけて」と言われたことの記憶は必ず残る。毎日50件の警告を行えば一年間で18,000件、3年間で5万件を超える記憶が中高生の記憶の中に蓄積されていく。
その記憶の積み重ねが、いつか誰かの交通事故を防ぐ。5万件の警告、その記憶が1件の事故を防いだとして、それを無駄だと思うか?非効率だと思うか? 私はそうは思わない、それだけで十分だと考えている。防ぐことのできた事故がたとえ1件であったとしても、中高生の記憶・思い出の中に残された私たち警察官の言葉、そしてその記憶が無駄になることはないからだ。私はそこに価値を認めている」
その結果、ある月の警告件数は1ヶ月で3,200件にもなり、特に若い交番の警察官が熱心に取り組んでいた。その理由を聞くと、中高生に警告書を渡して「これからは気をつけてね」と伝えると「ありがとうございます」とお礼を言われるんですと喜んでいた。
なるほど、それは嬉しいに違いない。自動車の交通違反を検挙すれば、ほとんどの違反者からは文句や不平不満を聞かされる。それに比べればどれほど嬉しいことか、その気持ちは私にもわかる。
その結果を待たずに退職したため、果たしてどれだけ自転車の事故が減ったのか知らないが、数多くの記憶が中高生に残り、同時に、若い警察官の記憶にも残ったことは確かである。
いつか誰かの事故を防ぐ、そんな費用対効果を無視したような警察活動が市民の理解や支持が得られるのかと問われても、私はそうした活動の積み重ねこそ忘れてはいけないのだと考えていた。
交通安全活動も同じである。その活動によって何件の事故を減らしたのかだけが効果なのではなく、目的でもない。その活動に参加された方々と交通安全の価値を共有し、安全意識を高め、それを誰かに伝えることができたのであれば、それだけでも十分な効果があったと誇るべきだからである。