時間はいつも、止まることなく、流れ続けている。嬉しいときも、悲しいときも、同じ速さで、ためらうこともなく、流れ続けている。
生きている限り、楽しみにしていた出来事も、大切な人との悲しい別れも、その時は必ず訪れる。そして、その出来事は過去の出来事となり、思い出の中に取り込まれていく。
交通事故という現実は、ほとんどの場合、自分の出来事ではなく、誰か、知らない人と知らない人との出来事にすぎない。
それが、自分の現実とならないために、私たちは少しの努力を続けている。それが、安全運転である。
誰かの交通事故は、それが知らない人の出来事であったとしても、それは私たちの社会の出来事であり、無関心であるべきではない。そこに関心を抱き、自分の行うべきこと、私たちの社会が取り組むべきことを考える。
安全運転を心がけるとは、そういうことなのだと思う。
未来はじっくりと、その時を待つ人をじらすようにゆっくりと訪れるが、その時が訪れた瞬間、あっというまに過去へと流れ去っていく。
私たちにとって、過去や未来は存在しない。存在する時間とは、今、現在だけである。
現職時代、警察本部の災害対策課長を務めていた。そして、常に、警察組織活動の可能性に不安を感じていた。それは、100人ほどの犠牲者が出る大規模災害が発生した場合、犠牲者を半減させることなど誰にもできないという現実のことだった。
警察組織の活動として考えるべきは、犠牲者を一人減らすために何ができるのか、ということだった。一日に何度も、今、地震が発生したら、何を、どんな順番に行うべきなのかを考え続けていた。
しかし、交通死亡事故のほとんどは、防ぐことができる。
私たちは、それを知らずに、そのことに気付かずに時を過ごしてきた。私たちの社会は、その数の多さに驚き、その数を減らすことを課題として考えてきたが、それは的外れだった。
当事者の方々にとって、数などなんの意味も価値もない。その事実・現実に対して、もっと正面から向き合うべきだったのだ。
交通事故で人を傷付け、その命を奪ってしまった事実は、時を経ても、忘れることなど許されるはずがない。命が失われた瞬間に時は失われ、傷付いた体と心の痛みが消えることはない。
健康は、不意の病に冒されて命が失われ、人知の及ばないこともある。しかし、安全であることは、多くの人と支え合うことによって実現可能である。交通事故は、特に交通死亡事故のほとんどは、私たちの安全意識を高めることで、防ぐことができる。
私たちは、その大切な現実に向き合わず、交通事故も、死亡事故でさえ、ある程度は仕方がないと思い込んできたのではなかったか。去年より減少すれば、それでよかったと勘違いしてきたのではなかったか。私たちは交通事故を避けるための努力、そのわずかな努力を惜しんできたのではなかったか。
安全であること、安全運転を行い、続け、多くの人がそれを習慣とすることによって、私たちの社会は、交通死亡事故をゼロにすることができる。
私たちは未来のために生きているのではなく、過去にとらわれて生きていくのでもない。今、存在する現在というこの時に、安全であること、健康であることの価値を忘れないこと、その大切さを多くの人と共有すべきなのだ。
その時とは、未来ではない。安全であることの大切さを共有すること、それは、今、私たちが正しく向き合うことによって解決することのできる、解決すべき、現在の課題である。