エスカレーター

2024年 5月号

 2023年10月1日から、「名古屋市エスカレーターの安全な利用の促進に関する条例」が施行された。2024年2月からは歩く人をセンサーが感知すると、AIが音声で「条例違反です!」注意喚起する。
 何故「危険です!」と言わずに「違反」を告げるのかと思う。
 道路交通法は、事故を防ぐために守るべきであり、違反だから守るのでは、「違反しても検挙されなければいい」という誤った認識につながり、交通環境は改善しない。
 しかし、人がエスカレーターで歩くのは、急いでいるからではない。急いでいるのであれば、エスカレーターを降りた所から走り始めるはずである。しかし、エスカレーターを止まって利用した人も、歩いた人も、降りた後は同じように歩き始める。
 つまり、人がエスカレーターで歩くのは、急いでいるのではなく、歩くことが習慣になっているに過ぎない。
 
 止まって利用する人たちは渋滞を作りながら左側に並び、その右側は空いている。両側で止まって利用することが効率的であることを理解していてもなお、私は右側で立ち止まることに抵抗があった。
 しかし、あるとき、右前の人が立ち止まった。その時、私は安堵感を感じてその後ろに立った。そうだ、私は自分が良い子(爺)のふりをすることに抵抗を感じていたのだ。右側でも止まることが正しいという確信が得られず、条例で解消されることはなかったのだ。
 その日から、私は右側で立ち止まるようになった。但し、念のため、私の左隣は空けてあり、本当に急いでいるのであれば左側から追い越していけるように気遣っている。
 私の後ろで立ち止まることを余儀なくされている人、その人が不満を感じているのか、安堵感を感じているのか知らないが、これまでに止まるなと文句を言われたことはなく、左側から追い越されたこともない。それは、私が既に高齢者然とした後姿を身に付けたからかもしれないが、それだけではないような気配を感じている。
 
 さて、規制速度が40km/hの道路、ほとんどの車は50km/h以上で走行している。それは、50km/h程度であれば検挙されないからである。
 何故、規制速度を超えて走るのかと問えば、「急いでいるから」という声が返ってくる。しかし、急いでいるのであれば、少し早く出発すればいい。しかし、いつも同じ時刻に出発し、速度を超えて走り続けている。
 それは検挙されない速度として、多くのドライバーの習慣になっているにすぎない。エスカレーターで歩く心理、習慣と同じである。
 
 せめて、雨が降ってきたら速度を下げるべきだし、夜は更に速度を下げ、前方を注視して慎重に走るべきだ。それが事故を防ぐ安全速度であり、それ以外に事故を防ぐ方法はない。
 高齢者が黒い服を着て横断歩道でない場所を横断したとしても、「見えなかった」では許されない結果を招く。「見えなかった」から仕方がないのではなく、見えなければ確認できる速度と方法で走行することだ。そもそも、横断する黒服の歩行者を発見し、その事故を回避することがドライバーの義務なのだ。
 
 自動車の運転中、急ぐことで生まれる利益など存在しない。そして、安全であることの価値、利益、そしてそれを認める力とは、組織としての力であり、その人の人格・識見の高さである。
 自動車を運転する時に最も大切なこと、事故を防ぐために最も重要な運転方法とは、落ち着いて運転することである。それ以上の心得も運転技術も存在しない。
 そして、それを習慣とするために、これまでの考え方を改め、少しの努力を続けることだ。