交通安全活動と労使関係

2017年10月号

 「万国の労働者、団結せよ!」、これはマルクス&エンゲルスによる「共産党宣言」の一節であるが、今日の社会においても、労使関係は基本的には対立関係にある。しかし、こと交通安全に関しては、そこに対立関係は生じない。交通安全の実現は、労使を問わず、すべての者に共通の利益を与えるからである。

 したがって、対立関係を生ずる交通安全対策は誤りである。しかし、共通の利益を与えるはずの交通安全活動が、現実的には従業員を責め立てるものとなっていることは珍しくない。事故の減少という結果(数値)に固執するあまり、あらゆる対策を盛り込んだ計画の履行を求め、事故という結果の当事者を糾弾する。つまり、安全運転管理者等の担当者は、詳細な計画を立ててそれを忠実に実施するよう繰り返し指示したのだから、それでも事故を起こした当事者が悪いと指摘するのである。しかし、それは誤りである。

 そもそも利害が一致し、その利益を共有することができる交通安全活動に対立関係を持ち込んではいけないからである。一方的な計画の履行要求と結果の糾弾は、労使間、組織全体における利益の共有を放棄し、職員を抑圧してその意識を萎縮させ、組織の進化・発展を阻害するものであり、その効果は形式的・表面的なものに過ぎないからである。

 交通安全活動の担当者には、詳細な計画の立案やその徹底を指示する前に果たすべき役割がある。それは、交通安全の価値を正しく理解し、その実現に向けて部下職員と共に取り組もうとする意思であり、それを自分自身の言葉で表現することである。

 「社長の指示だ」と丸投げすること、「あれをしろこれをしろ」「気をつけろ」、「あれをするなこれをするな」「事故するな」と叱咤し、(事故が発生すると)「事故するなと言っただろう!」と激怒することが担当者の仕事ではない。百歩先から「お~い、こっちだ!」と叫ぶことではなく、社員の後ろから追い立てることでもない。交通安全の価値、その目的を部下職員と共有し、一歩でもいいから一緒に進むこと、それこそが自分の役割であることを自覚することだ。

 交通安全は誰もが知っており、巷に溢れ、子供の頃から聞かされ続けているため、軽率に扱われる傾向がある。しかし、誰もが知っているからこそ、大切に扱わなければその価値を損ない、本心からそれを願う気持ち、その覚悟がなければ人に伝えることはできない。

 会社の管理は、業務管理、人事管理、組織管理に分けることができるが、交通安全活動は、その三つが重なり合う中心部分に位置すべき共通の課題(キーワード)である。交通事故のない職場環境の実現は、社員を業務活動に専念させることを可能にし、会社全体の生産性を向上させ、その利益配分によって組織力の強化を図ることができるからである。

 つまり、交通安全活動とは、単なるコスト削減活動ではなく、会社幹部が一方的にその実現を要求すべきものでもない。交通安全というこのありふれた課題は、労使が共に協力して取り組むにふさわしい価値があり、その実現は、会社とすべての社員に利益と発展をもたらし、社会に貢献するものである。