仮説

2023年10月号

 私たちは見えないもの、数えられないものに価値を認めることが苦手です。見えないものや数えられないものに価値を見出すためには、想像力を働かせて考えるという努力が必要だからでしょうか。
 例えば、その命に名前があるかどうかによって、私たちの受け止め方は大きく変化します。災害現場で瓦礫の下から救出される命には名前がありますが、交通事故防止活動によって守られた命は誰なのかわからず、名前がありません。
 名前のある命を守るためには、あらゆる組織すべての人が全力を尽くします。そこに失われようとしている命があり、それを守ることを実感できるからです。
 一方、交通安全活動によって死亡事故が抑止されれば、それは誰かの命が守られたはずなのに、それが誰なのかわからず、守られた命に名前はありません。その結果、誰かの命を守る交通安全活動は雲をつかむがごとく実感を失い、尽くされる努力は限られています。
 
 さて、交通安全活動の成果、安全運転管理者の仕事とは、対前年比で交通事故を減少させることなのでしょうか。
 例えば、自社の交通事故が前年より3件増加して10件発生した場合、昨年一年間の活動の成果は否定的に評価されますが、その活動によって抑止された件数は不明です。
 仮に、昨年も安全運転管理者の努力、事業所を挙げた取り組みがなされ、それがなければ15件発生していたとすれば、前年比では3件増加していても、実際に減少させた件数は5件なのです。
 しかし、それは仮説に過ぎず、誰にもわかりません。そのため、前年比の増減だけで安全運転管理業務を評価しようとします。事故が減少すれば施策の効果だと評価するのですが、増加した場合は施策、対策を変更し、来年こそ減少させようと総括して終わるのです。そして、来年以降もそれを繰り返し、経営者、安全運転管理者は毎年、事故の増減に一喜一憂するのですが、果たしてその考え方と対応は、事故ゼロという目標に向けた着実な一歩といえるのでしょうか。
 
 そもそも、安全というものの必要性、重要性、その価値とは、数値評価できるものなのでしょうか。そして、減少数が効果であり、増加した場合は無駄であったと判断すべきなのでしょうか。増減の数値とは現実の結果ですが、実は仮説に過ぎないのではないかと私は考えているのです。
 私たちは、死亡事故ゼロという山頂を目指しているのです。そのためには、具体的な計画と着実な実行が必要であり、目の前の道をひたすら歩き続けるだけで山頂に達することはありません。そして、目指すべき山頂までの道のりは、常に上り坂とは限りません。途中には下り坂もあることは当然なのに、下り坂を恐れて引き返し、道に迷い続けてしまうのです。
 事故はない方がいい、そんな単純な理由だけで人を動かし、安全運転を続けることなどできません。会社、事業所をあげて事故ゼロを目指すためには、経営者、管理者自らがその重要性、その価値を本気になって考え、多くの社員、従業員と共有することから始めなければならないのです。
 
 私たちは見えないもの、数えられないものに価値を認める努力を惜しんではならないのだと思っています。そうしない限り、交通安全活動、安全運転管理業務は、前年比の増減に一喜一憂を繰り返し、事故ゼロという山頂を目指すための着実な一歩について、その道のりを正しく評価するすべを失うからです。
 交通安全活動とは、実は仮説なのかもしれません。しかし、交通安全活動、安全運転管理とは、あらゆる組織、すべての人々が力を尽くすに値する価値ある仮説に違いないのです。