声を上げる力

2021年 3月号

 警察学校で教えられた。「爆発事故(事件)が発生して現場に臨場した場合、優先して救出すべき被害者とは泣き叫ぶ人たちではない。声を上げる力すら失って倒れている人たちである」
 痛みを訴える人は生命の危機に瀕していない。声を上げる力も残されていない重篤な人を真っ先に救出せよ、ということである。
 
 災害現場では「トリアージ」が行われる。それは、被災者のケガの重症度を判断して治療の優先度を決定、選別することをいい、被災者にトリアージタグを付けて結果を示す。赤タグは優先順位1位(重症)、黄タグは優先順位2位(待機できる)、緑タグは優先順位3位(軽症)、黒タグは優先順位4位(助けられない)。
 タグは、記載欄の下に色分けがされており、記載欄のすぐ下が黒色、次に赤色、黄色、一番下が緑色である。トリアージの結果、重傷と判断されれば黄色と緑の部分を切り取り、赤色から上を残す。死亡と判断されれば赤色から下を切り取り、黒色を残す。これによって、治療・救出すべき優先順位が明確になる。
 死亡が確認されなくても、助けられないと判断されれば黒色のタグであり、その優先順位は4位、最後である。それは、一人でも多くの命を救うための選択である。
 救出作業が進むにつれて黒色のトリアージタグを付けられた被災者は取り残されていく。災害現場に点々と横たわり、動かない、黒色トリアージタグを付けた被災者の姿がそこにある。
 
 大規模な災害が発生した現場では、多くの被災者が助けを求めている。「助けてくれ!」と叫ぶ人たち、しかし、本当に助けが必要な人は他の場所にいるのかもしれないのだ。
 助けを求める眼前の被災者の救護は必要である。しかし、その先の誰も知らない場所で、声を上げても誰にも聞こえず、助けてと声を上げることすらできない人たち、救える命が存在することを忘れてはいけない。
 
 私たちの社会が第一に手を差し伸べるべきは、声を上げることもできない人たちであり、それは災害現場だけではない。犯罪被害者も、交通事故の被害者・家族も同じである。DVも、ストーカーも、児童虐待の被害者も同じである。
 犯罪被害者は被害によって傷付くだけでなく、マスコミ報道によって傷を深くすることがある。性犯罪の被害者は、時に被害者にも責任があるような無責任なコメントが広まり、心まで閉ざすことになる。DVは家庭内の出来事であり、加害者(夫)の社会的な評価が事実の深刻さを覆い隠し、被害者(妻)は口を閉ざし、更に暴力が繰り返される。ストーカー被害も深刻であり、児童虐待に至っては言葉を失うほどである。
 その被害の大きさとは肉体的な傷の深さではない。暴力は、形を変えて被害者の精神を蝕み、追い詰め、声を上げる力を失わせる。声を上げないから傷が小さいのではなく、声を上げることすらできないほど精神的に深い傷を負っているのだ。
 悲しさの大きさとは、叫び声の大きさではない。
 
 私たちに自然災害を防ぐ力はないが、今日の、自分の事故を防ぐ力はある。私たちが交通事故を防ごうとしているのは、交通事故の悲しさを知っているからである。
 交通安全を願う気持ちの強さは、その声の大きさではない。大きな声でなくとも、安全運転の大切さを話し合い、共有することによって、かけがえのない命、幸せを守ることができる。
 私たちは交通事故を防ぐための声を上げる。その声を重ね合わせることによって交通環境を変え、交通事故を防ぐことができるからである。私たちには声を上げる力がある。