大切な人、大切な気持ち

2025年11月号

 私の友人、子どもを持つ母親が、つぶやいた。
 「なぜ私は、若い頃、安全運転ができなかったんだろう……」
 私は次の言葉を待った。
 「子どもの頃、両親や学校の先生から“交通事故に気をつけなさい”と言われ、自分なりに気をつけていたつもりだった。
 大人になって運転免許を取り、自分が自動車を運転するようになったが、家族から言われるまでもなく、安全運転をしているつもりだった。
 でも、違っていた。私の安全運転なんて、適当な、いい加減なものだった。今、それがよくわかる。

 自分が母親になって、考え方は大きく変わった。健康や安全を第一に、子どものことを中心に考えるようになった。
 子どもの交通事故なんて、想像するだけで恐ろしく、考えたくもなかった。
 そして、私の運転も変わった。
 子どもを乗せて運転するとき、自分が気をつけていても、ぶつけられることはある。そのとき、チャイルドシートをしていなかったら、そのせいで子どもが大きなケガをするかもしれないと考えた。そして、チャイルドシートは欠かせなくなった。
 近所の生活道路を走るとき、見通しの悪い交差点がある。もし、自分の子どもが飛び出してきたらと考えた。そして、自分が優先であっても、ブレーキを踏んで徐行する、左右の安全を確認してから通過するようになった。
 信号のない横断歩道、そこで自分の子どもが待っていたら、その前を止まらずに通過することなんてできない。だから、どんな時でも、ダイヤマークを見つけたらアクセルから足を離し、減速しながら横断歩道周辺の安全を確認するようになった。そして、誰かが待っていれば、確実に止まるようになった。
 ……これは、何故だろう。私の何が変わったのだろう。
 もし、すべてのドライバーが、私と同じ気持ちで運転するようになれば、交通事故は随分減るに違いないのに……」

 私は、その話を聞いて嬉しくなった。
 「それは、あなたが、“自分の命よりも大切なもの”を見つけたからだと思う。
 自分を育ててくれた両親、そして家族は大切な存在。でも、自分の命よりも大切な存在ではない。しかし、自分が産んだ子どもは違う。自分のお腹に宿り、育ち、生まれてきた子どもは、母親にとって、自分の命よりも大切な存在なのだと思う。
 あなたは自分の命よりも大切なものを見つけた。そして、その命を守るために、あなたは安全というものに、本当の価値を見つけた。

 私は男なので、母親の気持ちはわからない。でも、最近、私も大切なものを見つけた。
 自分が高齢者になり、自分の命に限りがあること、やがて自分がいなくなること、それが確かな事実であることを感じるようになった。そして今、生きていることがいとおしい。私は、生きていることの大切さを、見つけた。
 だからこそ、子どもたちの命を、私たちの社会は守らなければならないと、本気で思う。
 これから様々な人生を歩む子どもたちを守ること。交通事故で、その心や体を傷つけてはならない。まして、その命が失われることなど、あってはならない。
 大切な人を思い、大切な気持ちを忘れないこと、つまり、命の大切さを見つけることで、私たちは安全運転を続けることができるのだと思う」