安全管理と安全運転管理

2019年 3月号

 この編集雑記を読んでいただいたり、ホームページをご覧いただいた方から交通講話の依頼をいただくことがある。しかし、私の話の基本は「安全運転の価値を考える」ことであり、誰もが知っているはずの安全運転が何故できないのかを考え、安全運転を続けることの価値を共有しなければならないという、いわばつかみ所のない内容である。

 過日、日本を代表する製造所でお話しをさせていただき、最後にその代表者の方が私の話を総括された。
 「車の運転、その場所は個室であり、上司不在である。したがって、そこで安全運転を徹底できる社員は、いかなる業務も適正に行うことができる。そして、安全管理のルールを徹底すれば、作業事故を起こすこともない。
すなわち、車の安全運転とは、作業事故をゼロにするなど、私たち製造業の安全管理、そして組織管理の基本である」
 私は感激し、そして敬服した。こんな短い時間で、私が最も伝えたかったことを切り取り、整理して発言された。こんなリーダーの下で仕事をしてみたい……。久しぶりにそんな気持ちになった。

 工場での作業事故に関して、警察署長当時に思うことは何度もあった。作業事故が発生して捜査を行うと、そのほとんどは決められたルールを無視したことが原因であると判断された。交通事故が、時にルールを守っていても避けられないことがあることを思えば、工場の作業事故とは、過失というよりも油断というべきではないかと感じていた。

 経営コンサルタントに問いかけたことがある。「安全運転管理の目的を交通事故の減少だけに限定するのではなく、安全運転管理を推進することで会社全体の安全管理、更には適正な組織管理を実現することができるはずであり、そう考えるべきでないのか」
 私の問いかけに彼はニヤリと笑い、明快な答えを返してくれた。「その通り。安全運転管理と会社全体の安全管理、そして組織管理とはほぼ同じものであり、それに気付くことができるかどうかが重要です。安全運転管理の話をした後で、“これはすべての安全管理、組織管理につながりますね”という言葉が返ってくる組織、幹部は強い」

 さて、「仕事の報酬は仕事」という言葉がある。私自身もそれを誇りに思う気持ちを抱いていたが、最近、それは「働き方改革」に逆行するとの指摘があった。しかし、「働き方改革」の目標とは「労働時間の短縮及び生産性と満足度の向上」であり、決して矛盾するものではない。
 そもそも、仕事に専念することと長時間労働とはまったく別の問題である。そして、仕事で成果を上げればより困難な仕事を与えられるものではあるが、それを克服することによってより以上の充実感、満足が得られること、それは説明するまでもない。仕事とは、常に楽しいものではないが、自分の仕事に満足することなく充実した人生を過ごすことなど考えられないであろう。

 私たちは喜び、悲しみ、いろいろな出来事を経験しながら生きているが、より良く生きて行くためには仕事に専念し、家族とともに事故と無縁であり続けることが必要である。
 現代を生きるドライバーに求められているのはこれまで以上の安全意識であり、交通事故防止・安全運転とは、私たちを守るために果たすべき義務と責任のことである。