悲しみの隣で

2022年 10月号

 時間はいつも、どんなときも同じ速さで流れていく。それぞれの人が、喜びに満ち溢れるときも、悲しみに打ちひしがれるときも、変わらぬ速さで流れ、過ぎ去っていく。
 これまで、交通事故によってどれほどたくさんの命が失われてきたのだろう。家族にとってその悲しみは、時間の流れの中で立ち止まり、振り返り、忘れることなどできない。交通事故で子どもを失った親は、信じられない現実を突きつけられ、自分自身の命が終わるときまで、その悲しみと向き合い続けている。
 
 YouTubeのイベントが開催された。被害者ご家族の対談の後、司会者から「被害者ご家族のお話を聞かせていただきましたが、どのように思われましたか?」と問われ、私は言葉を失っていた。
 お子さんを交通事故で亡くされ、その思いを胸に交通事故防止活動に取り組まれてみえる方が、ご自身の活動について「被害者も加害者も生まないために」と話されたからだ。
 
 交通事故で失われたのは被害者の命だけではない。その家族の幸せも、夢も奪われた。そして加害者はその人生を失っただけではなく、自分の家族の人生も失わせた。確かに、交通事故には被害者だけではなく、加害者も存在する。
 しかし、家族を交通事故によって失ったその家族が、その母親が、加害者を生まないことまで思いを深めるために、どれほどの辛い時間を過ごしたのかと思った。お子さんを交通事故で亡くされた当時の悲しみの重さだけではなく、今も毎日、亡くなられたお子さんのことを思い出し、その悲しみと向き合っていらっしゃるに違いないからである。
 お子さんを亡くされた悲しみを受け止めるだけでなく、加害者のことまで思いを広げ、その言葉を自分の言葉として伝えるために、はたしてどれほどの時間を過ごし、たくさんの悲しみを受け止め、自分の中にしまい込んでみえたのだろうか。それを考えたとき、私は言葉を失った。
 
 私はこう発言しなければならなかったのだ。
 「お子さんを亡くされた方が、加害者のことまで考えていらっしゃることについて、私は敬服し、言葉を失います。その言葉をご自身の言葉として話されるために、これまでどれほどの悲しい時間を過ごされ、それを乗り越えてみえたのかを思うからです。
 私たちの社会は、これまで、どれだけの悲しみを積み重ねてきたのでしょうか。被害者ご家族の悲しみだけではなく、加害者とその家族の悲しみもたくさん積み重ねてきたはずです。いくつもいくつも、数え切れないほどの悲しみを積み重ねながら、しかし、私たちの社会は本気になってその悲しみに向き合い、残された人たちの声に耳を傾けてきたのでしょうか。気づかないふりをしたり、忘れてしまいたいと考えたことはなかったのでしょうか。
 その言葉は、私たちが忘れてきた、これまでの数え切れないほどの悲しみを私たちに教えてくれます。そのひとつを聞くことによって、私たちは安全運転を行うことの大切さを知り、安全運転を続けることを決意することができるはずです。
 私たちはたくさんの悲しみの隣にいるのです。その悲しみから目をそらさず、きちんと向き合うことによって、私たちは新しい時を刻み、積み重ねていくべき時代を迎えているということです。交通事故による悲しみの隣で、私たちは、これまでいつの時代にも実現することのできなかった、交通死亡事故のない安全な交通環境を実現することができるのです。
 亡くなられたお子様、すべての交通事故犠牲者の方々のご冥福を祈りつつ、ご家族皆様のこれからの時間が安らかであることを心からお祈りしております」