掛け違えたボタン

2025年 8月号

 昭和40年頃、自動車の普及によって、私たちの社会は急激な成長と変化を遂げようとしていた。
 自動車は時代と共に進化を続け、物流の進化は企業活動を加速させた。そして、マイカーの登場によって、私たちの生活の範囲は急速に広がり、楽しみも可能性も一気に広がった。
 しかし、その傍らで、私たちの社会は、自動車本来の機能である安全、快適、便利という3つの機能のうち、最も大切であったはずの安全を置き去りにした。
 自動車を走らせることで経済は活気を帯び、私たちの生活も充実した。その一方で交通事故も増加したが、ある程度の交通事故は仕方がないという考え方が広がっていった。
 
 自動車とは、本来、安全な乗り物だった。速度を抑制し、ブレーキとハンドルを正しくコントロールすれば、危険を回避することができるからだ。つまり、自動車はぶつからない、交通事故とは、ドライバーがぶつかる運転をした結果にすぎない。
 事故を防ぐためには、止まれる速度で走ること、周辺への注意を怠らないことが不可欠である。しかし、車を走らせることに気を取られ、ある程度の事故は避けられない、仕方がない、……そんな考え方が蔓延し、今もなお、そう思い込んでいるドライバーは少なくない。
 その結果、事故を起こしても自分の過ちを素直に認めず、多くのドライバーは、言い訳を繰り返している。
 事故の理由・原因を問われたとき、「あれはたまたまだ、運が悪かった、見えなかったから仕方がない、飛び出てきた歩行者が悪い」などと言い訳することが当たり前になった。

 私たちの社会は、その頃、肝心な最初のボタンを掛け違えたのだ。つまり、安全というボタンを掛けるべき最初のボタンホールに、先を急ぐというボタンを掛けてしまったのだ。
 それから60年を経て、掛け違えたボタンはそのまま引き継がれている。最初に掛け違えたボタンは一つでも、次のボタンを掛ける度に、掛け違えたボタンの数は増えていく。
 すべてのボタンを正しい位置に掛け直すためには、最初のボタンから掛け直さなければならない。しかし、誰もそれに気付かないふりをしてきた。

 その後、交通事故・交通死亡事故の急増に伴い、交通事故防止が叫ばれるようになった。全国で交通安全運動が展開されるようになったが、最初のボタンを掛け直すことは忘れられたままだった。
 手元のボタンを正しく掛けるには、最初の掛け違えたボタンから直さなければならないのに、手元のボタンばかりを気にしている。手元のボタンとは、交通死亡事故の前年比、その増減である。
 交通死亡事故の増減ばかりに気を取られているのでは、いつまで経っても、自動車本来の機能を取り戻すことはできない。
 最初のボタンに立ち返り、安全というボタンを正しく掛け直すことから始めない限り、私たちは本当に安全で快適な交通環境を実現することはできない。

 自動車とは、安全で快適、そして便利なものであり、快適・便利である前に、安全なもの、安全であるべきものである。
 今、私たちドライバーが、歩行者・自転車を優先し、譲り合う運転を続けることによって、自動車は、安全性という本来の機能を取り戻すことができる。
 自動車の安全機能が急速に進化している現代とは、ボタンの掛け違いを最初から正すことを通じて、本当に安全で快適な交通環境を、私たち自身の力で実現すべき時代のことである。