森林限界

2023年 6月号

 「森林限界」とは、高さ3m以上の高木が生育できず、森林を形成できない限界線のことだそうだ。
 植物育成の環境条件には、気温や湿度、照度などがあるが、主な要因は低温と乾燥、特に気温によって森林限界が示される。
 令和4年2月、将棋の藤井聡太王将が史上最年少5冠を達成した記者会見において、「富士山で例えれば何合目まで登っているイメージか」との質問を受けた。藤井王将は「将棋は奥が深く、どこが頂上なのか全く見えない。いまだ頂上が見えない意味では森林限界の手前。まだまだ上の方には行けていないと思います」と答えたそうである。
 富士山の森林限界は5合目付近だとされている。自らの将棋道を富士山の登山道に例え、まだ森林限界の5合目付近には到達していないという意味であった。
 
 この言葉を引用した藤井王将には敬服するが、まさに私たちが取り組んでいる安全運転管理、交通事故防止活動も同じではないかと思った。
 樹木は寒いと生育しない。樹木の生育に必要な要素とは、第一に水分、雨だと思っていたが、気温なのだという。樹木が育つために暖かな気温が必要であるように、安全運転管理や交通事故防止活動においても、温かさ、いや、何よりもその「熱意」が必要であることを思う。水分という活動資産以上に、それに取り組む私たちの熱意こそが重要なのだ。
 
 そもそも自動車とは安全で快適、そして便利な乗り物、幸せを運ぶものであったはずである。しかし、そこに便利さと豊かさを積み過ぎて、安全を後回しにしてきたのではなかったか。
 約40年前(1982年)、ジェラルド・ワイルド博士は「リスクホメオスタシス理論」を発表し、「自動車の安全機能が向上しても交通事故は減らない」と訴えた。
 自動車の安全性を高めても、ドライバーは安全になった分だけ利益を求めて危険性の高い運転をするため、結果として事故が発生する確率は一定の範囲内に保たれる、という内容である。
 例えば、いわゆる自動ブレーキなどの安全機能は、私たちが人として避けられない過失を補うための装置であり、ずさんな運転から事故を守る機能ではない。人の過失を減ずることはできるが、それから完全に免れることはできないからである。
 若者は苛立ちの中で立ち尽くし、注意力が散漫になって事故を起こす。高齢者は心身の機能低下によって注意力、事故回避能力が低下して事故につながる。その他、それぞれの過失を補って事故を防ぎ、その被害を軽減させようとするのが安全機能の役割であり、無謀な自分勝手な運転を助けるものではない。
 自動車とはドライバーが運転するものであり、その安全で便利な機能を発揮させ、事故を防ぐためには譲り合う、支え合う気持ちを備えた安全運転が前提となる。
 
 未来を予測することは難しく、その答えは今、どこにも存在しない。しかし、それを実現させるのは、他ならぬ現在を生きる私たち自身である。
 交通事故のない、安全で快適な交通環境を実現することと、それは私たちの義務なのだ。それを社会の動静に委ねるのではなく、私たち自身の努力の積み重ねによって実現させるべきなのだ。
 私たちがあきらめることなく、これからも熱意を持って交通安全活動に取り組み続けることによって、交通事故という森林限界は高くなり、交通死亡事故という森林限界はいつか必ず頂に届き、ゼロになる。