生きていくということ

2020年 5月号

 永六輔さんは、「生きていくこと」についてこんな言葉を記している。(歌の題名は「生きているということは」)
  生きていくということは 誰かと手をつなぐこと
  つないだ手のぬくもりを 忘れないでいること
  誰かにそうしてもらったように 誰かにそうしてあげること
 
 この言葉に心を洗われる思いがするのは、私たちが心の中でそれを願い、そうでありたいと思う気持ちがあるからだろう。
 生きているということ、そして生きていくということは容易ではない。誰もがいろいろな苦しみや悲しみを持ち、それを乗り越えながら生きているからだ。しかし、苦難を乗り越えようと私たちが努力するその理由とは、つかの間の幸せを得るためではない。苦難を乗り越えようとすること、それが生きているということだからだ。
 
 健康がそうであるように、ありふれた平凡な日々、そんな時間の中で、私たちはそれがどれほど幸せなことであるのかを忘れている。だから、普通であることが当たり前で当然なのだと思い込み、それを守るための努力など考えない。
 
 ごく普通の運転で事故を起こさないことなど当たり前ではない。死亡事故ですら、その大半はごく普通の運転をして発生しているからだ。死亡事故のドライバー、その半分近くは過去に違反や事故のなかった優良ドライバーだったのだ。
 死亡事故は、被害者の命を奪い、そのご家族に一生消えない心の傷を残し、悲しみを与え、加害者自身、その家族からもその幸せな人生を奪う。
 ほとんどのドライバーの安全意識は低すぎ、その運転で事故を避けることなどできない。自動車を運転することとは、私たちが考えている程度の安全意識ではまったく不十分である。気楽に運転することなど、誰にも許されてはいないのだ。
 
 空を飛べない私たちは、同じ平面上で交差する道路の上を歩行者も自転車も車も走る。そのため、何よりも車のドライバーこそ、事故を防ぐために努力することが求められている。
 自分が十分に注意することで、相手のウッカリによる事故を避ける。自分が優先だからとその権利を主張して漫然と走行するのではなく、相手の過失が事故に発展することを自分の安全意識・安全運転で回避する。何よりも、歩行者を守る、深夜でも歩行者・横断者を発見して事故を回避できる運転を実行することが求められている。
 そんな運転への考え方こそが、現在のドライバーに求められている安全意識の基本であり、運転行動の規範である。
 
 「手をつなぐこと」とは、例えば、歩行者を見つけて止まり、安心してゆっくり渡れるように笑顔で「どうぞ」と手で合図したりすること。渡り終わった歩行者と笑顔で会釈を交わすこと。そして、道を譲ってもらった時の気持ちを忘れずに、他のドライバーに道を譲ることなのだ。
 ありふれた生活、普通の幸せを守るために、ドライバーは安全意識を高め、注意深く安全運転を行うこと。それは、私たちドライバーにとって当然の義務なのだ。
 
 家族の手のぬくもりを忘れずに、安全運転を続けよう。誰かの命を守り、悲しみを防ぎ、今ここにある私たちの幸せを守り続けるために。