自動販売機

2019年 9月号

 Iさんは町の車屋さん。新車・中古車の販売から車検・点検・修理・事故の対応まで、車のことなら何でも気楽に相談に乗ってくれるし、解決してくれる。交通安全に関する私の大切な相談相手でもある。

 ある日、将来的な交通安全活動の在り方について、答えを見いだせないまま腕を組んで黙り込んだ私にIさんは問いかけてきた。「警察署長だったとき、誰のためにと考えて仕事をしてたんですか?」
 当時、様々な警察事象への対策について、その判断基準は何か、誰を基準に必要性の判断をするのかと問われ、私は答えた。
 「警察活動の判断基準とは、そうすることが現在の、そして将来の市民のためになるか否かです。また、市民の声とは、聞こえてくるマスコミや地元の有力者、議員の意見だけではなく、いわゆる苦情でもありません。それは市民の声の一部に過ぎないからです。
 大半の市民は、警察活動に不満を感じても黙って我慢しています。ならば、その不満を口にしない大半の人たちの気持ちに応える警察活動こそが、市民のための警察活動なのだと考えなければなりません。そしてそれは、現在の警察事象への対応にとどまらず、この街の将来に向けた対策についても強い期待があるはずです。警察署長は転勤していきますが、市民の方々はこれからもずっとこの街で暮らしていくからです。
 もちろん、意見として聞こえてくる声に応えることは必要ですが、それ以上に、言葉として聞こえてこない市民の気持ちを考え、現在の、そして将来に向けた必要な施策・対策を講じていくことこそが重要なのだと考えています」
 ……、私はそう答えたのだった。そうか、Iさんは、大切なことは組織が変わっても同じではありませんか、ということを私に示唆してくれたのだ。

 私の納得した様子を見てIさんは話し始めた。
 「ご来店いただけるお客様の中には、車を買うつもりのお客様もみえます。そんなお客様に高価な車を買っていただくのは難しいことではありません。その場合の私は自動販売機と同じです。それを営業とはいいませんので、その後のアフターケアに全力を尽くします。
 ご来店いただくほとんどのお客様は、展示車をご覧になったり、パンフレットをお手にするだけで、こちらからお声を掛けなければそのままお帰りになります。そんなお客様にお声をかけてお話をうかがい、ご連絡先をいただき、点検や修理、車検のお仕事をいただきながら、買い換えの時に購入の相談、そしてご注文をいただく、これが営業なのだと思っています。小さなお仕事にも誠意を持って対応し、大きなお仕事にはその後も全力を尽くし、期待以上のお仕事をさせていただくこと、これが私の営業です」

 交通安全教育や交通安全活動も同じなのだ。交通安全が大切なことなど、誰でも知っている。しかし、人が知っている知識を伝えるだけでは交通安全教育とはいわない。それでは、Iさんに「自動販売機」だと笑われる。交通安全活動に関わる私は、交通安全活動の営業マンとしてIさんに負けてはいられない。
 自動車の安全性能が飛躍的に向上している今こそ、交通事故を減らすために最も必要なものとは、私たちドライバー自身の安全意識なのだ。現代とは、車が人を守る新しい交通環境を目指して、私たち自身の力で交通事故を減らしていくことが求められ、その覚悟が問われている時代なのである。