誠実に生きてきたか?

2024年 1月号

 こんな映画のシーンがあった。……年老いた老人が登場し、家族に見守られて戦死者の墓参りをしています。90歳を超えていると思われるその老人は、墓に向けて語りかけます。
 「私は、本当に、誠実に生きてきたのでしょうか?
 あの戦争で、私の命が失われるのは時間の問題でした。しかしあの時、あなたは自分の命と引き換えに私の命を守ってくださった。そのおかげで私は生き延び、結婚し、たくさんの家族に囲まれて本当に幸せな人生を送ることができました。
 戦争が終わったとき、私はあなたのご恩に報いるために、せめて人として誠実に生きていこうと思いました。今もその気持ちを忘れずにいますが、どうなのでしょう。私は本当に、人として誠実に生きてきたのでしょうか?あなたに恥ずかしくない、誠実な人生を私は送ることができたのでしょうか?」
 老人は、過去を慈しむように目を閉じ、目尻から涙がこぼれます。妻は「もちろんですよ」と答え、息子は老人の肩に手を置き、「父さん、あなたはこれまで立派に、人として誠実に生きてこられました。あなたは私の、そして私たち家族の誇りです」と伝え、ねぎらいの眼差しを向けます。
 老人は少しはにかむような笑顔を見せ、「そうか。ありがとう」と答え、名残惜しそうに敬礼し、墓を後にします。
 
 戦場で敵に囲まれた若き兵士を助けるため、上官は自分の命を犠牲にした。最後の言葉は「自分の人生を生きなさい」でした。
 若い兵士は、その恩に報いるため、せめて自分は人として誠実に生きることを心に決めたのです。
 それから長い時間が流れて若き兵士は老人となり、改めて自分は誠実に生きてきたのかと問いかけているのです。
 老人は妻を、そして家族を愛し、大切にしてきました。いつも、人として誠実であれと思い続け、誰に対しても慈愛の気持ちを失うことはありませんでした。それでも、自分は本当に誠実であったのか、亡き上官に誇れるほど誠実な人生を送ってきたといえるのかと問いかけているのです。
 このシーンを思い出しながら、私は改めて誠実であること、人として誠実であり続けることの難しさを思います。
 あの老人は、誠実であることとは、かくも困難なことなのだ、本当に難しいことなのだと私に語りかけているように思えるのです。
 
 そして、安全運転のことを思います。私自身、いつも安全運転を心がけ、注意深く運転しているつもりですが、本当に私の運転は歩行者を守り、他の車と譲り合うものであるのかと思い返すのです。
 安全であることの大切さを思い、自分のためだけではなく、歩行者、自転車、すれ違う車への配慮を欠かさない運転、それが本当の安全運転なのでしょう。
 しかし、それは難しいことなのではなく、誰にでもできることなのだと思っています。
 交通事故の悲しさと向き合い、安全運転を続けることの価値を認めること。そして、安全運転を続けることによって守ることができる自分の人生、家族の幸せに価値を認めることです。そして、それを心に決めることによって、それは誰にでもできることなのだと思っています。
 
 安全運転を続けるための少しの努力を積み重ねることによって、私たちは大切なものを守り、私たちの社会は安全で快適な交通環境を創り上げることができるのです。
 人として誠実に生きていくこと、それはとても難しいことだと思わずにいられません。しかし、誠実な人の運転こそ、本当の安全運転にちがいないのです。