警察官としての現職時代、110番通報に対するパトカーの緊急走行(赤色灯を点灯して赤信号通過)を倍増させようとした。事件や事故に巻き込まれて不安な通報者の気持ちを考えれば、少しでも早く、サイレンを鳴らして現場に向かうべきだと考えたからである。
しかし、そのとき、「緊急走行時は事故率が高い。パトカーの緊急走行を増やしてパトカーの事故が増えたら、責任をとれるのか?」と詰問された。
パトカーの事故が増えるという理由でゆっくり走るなんて、そんな警察活動を市民が納得するはずがない。
110番通報をして警察官を待っている人がいるのなら、少しでも早く到着する。それが警察活動として果たすべき責任であり、それでも事故を起こさずに現場に向かうこと、それが警察官としての仕事なのだと反論した。
10年ほど前、歩行者保護を提唱した。市民との会議の席上、横断歩道で歩行者が待っていたら必ず止まること、止まらないことは違反であり、検挙すると説明した。
出席者の一人が手を挙げた。「横断歩道の手前で止まったら追突される。署長は、その事故の責任をとれるのか?」と質問された。
「交通事故の責任は、警察署長の私がとれるものではありません。
ダイヤマークを見つけたら減速し、横断歩道周辺に歩行者がいないか確認してください。渡ろうとする歩行者を見つけたら、早めにブレーキを踏み、ゆっくり止まるようにしてください。
横断歩道の手前で急ブレーキを踏むと、追突されるおそれがありますが、早めのブレーキで減速すれば、追突は避けられます」と答えたが、納得は得られなかった。
「追突されたらどうするんだと、俺は聞いているんだ!」
私は、会場のすべての人に向けて、ゆっくり、話し始めた。
「これまで交通事故で命を奪われた歩行者のこと、その家族の悲しみ、そして、死亡事故の加害者になったドライバーの人生のことを考えてみませんか。
横断歩道で待っている人がいれば、確実に止まる。こうした運転は、大きな信号交差点における右左折時にも、横断歩道周辺への確認行為につながり、歩行者、自転車との事故を防ぐことができます。
私たちドライバーは、重い責任を背負って運転しているのです。その責任の重さを考えれば、横断歩道周辺の安全確認を怠らないこと、歩行者を見つけたら確実に止まることなど、決して難しいことではありません。安全運転を続けるというドライバーの責任の重さについて、私たちはもう一度考え直すべきです。
失われた命には名前がありますが、守られた命に名前はありません。失われた命を数えても、守られた命を数えることはできません。
こうした、数えられない、名前のない命を守るという、私たちの責任、私たちの社会の責任について、これまで本気で考えてこなかった。その結果、毎年、数多くの命が失われてきたのです。
私は違反の検挙をしたいのではありません。指導・警告だけでは、ドライバーの運転行動を変えることができないからです。検挙活動を続けることで、多くのドライバーの運転行動を変えることができる、新しい交通環境を築くことができるからです。
歩行者が守られる交通環境を築く、今、そのために必要な警察活動が検挙活動であるならば、それを行うことが警察組織の仕事です。そして、それを指揮することが、警察署長として、私の果たすべき責任なのだと考えているのです」
静まりかえった会場のどこからか、拍手が聞こえた。その拍手の音が、私の背中を押した。