走る子どもの危険認知

2018年11月号

 ファミリーレストランでこんな光景を見たことがある。
 子どもがふざけて通路を走り回り、母親が声を上げる。「危ないから走らないで!」しかし、子どもは走るのをやめない。ついに母親は席を立ち、子どもの前に立ちふさがって怖い形相で叱る。「やめなさい!!」そしてようやく、子どもはあきらめたように走るのをやめる。

 この様子について、子どもの心理を考えてみる。
 子どもが走るのをやめなかったのは何故か?それは、母親から「危ないから走らないで!」と言われても、「何が危ないのかわからない」からである。危険性を理解することを「危険認知」という。
 レストランの中で走れば、テーブルの角で頭をぶつけてケガをすることがある。あるいは、食事を運んでいるウェイトレスにぶつかれば熱い料理やお皿が散乱してとんでもないことになる。母親はそれらの恐るべき可能性をまとめて「危ない」と表現したのだが、それを子どもは理解できない。そんな光景を見たり経験することを繰り返して人はその危険性を理解していくのだが、子どもにそんな経験はない。だから、何が危ないのか、何故走ってはいけないのかが理解できないでいるのだ。
 しかし、次に、母親が立ちふさがり、怒った顔をして叱りつけた結果、走るのをやめた。しかしそれは、自分の行動の危険性を理解したからではなく、母親の形相に身の危険を感じたからであり、過去、それでもやめなかった時の(お尻を叩かれた)痛い経験を思い出したからである。

 さて、多くのドライバーは、この子どもと同じ状態にある。
 子どもの頃から交通事故に気をつけなさいと教えられ、運転免許を取れば違反をするな事故するなと言われ、会社に入っても上司から安全運転・事故防止を繰り返されて現在に至る。
 しかし、交通違反で検挙されても、違反したことを反省するのではなく見つかったことを反省している。交通事故を起こしても相手が悪いとか運が悪かったなどと言い訳をする、そんなドライバーは少なくない。そしてその姿は、車を運転することの危険性を理解して自らの運転をコントロールしているとは言い難く、先の子どもと同じである。つまり、多くのドライバーは、交通事故の危険性への理解、危険認知ができていない。だから交通事故は半減しないし、死亡事故はなくならないのである。

 大人は子どもにレストランで走ることの危険性を教え、知らない人について行くことの危険性や道を横断するときの危険性を教える。同じように、ドライバーには車を運転することの危険性、その義務と責任について、もう一度、そして繰り返し教えなければならない。交通事故の危険性や安全運転の重要性について、それを知識として知っているだけでは運転行動に反映されないからであり、安全運転管理の目的とは、指導することではなく事故を防ぐことだからである。
 ドライバーとして未熟な人がどれほど多くても、その未熟さを払拭して成長を促すことが必要である。だからこそ、当協議会ホームページ冒頭のメッセージ(私たちの課題)は、「安全運転を習慣とすること、そのための努力を惜しまないこと」なのである。

 何が危険であるのかを理解して自らの行動をコントロールすること、この危険認知の過程こそ人の成長に伴う重要な課題であるが、子どもを育てることも、ドライバーを育てることも、そこには大変な手間・暇・努力と根気が必要なのだ。