運転中の仕事

2024年 3月号

 運転中の仕事とは安全運転を続けることである。それは最優先されるべきことであるにもかかわらず、多くの場合、その重要性は理解されていない。
 安全運転を行うことが難しい理由のひとつとして、重要性の認識の欠如を指摘することができる。つまり、ドライバーにとって運転することは特別なことなのではなく、しかも運転することが目的ではないため、運転行為の重要性を認識できないということである。
 朝晩の通勤、営業、週末の買い物など、公私にわたって頻繁に車を運転する。そして、会社へ行くこと、取引先に行くこと、買い物に行くことが目的であり、運転はそのための手段に過ぎないため、運転行為そのものの重要性が理解・認識できなくなる。
 
 社用車を運転中は、取引先での交渉についての考えを巡らせつつ運転する。そのため運転に集中できず、油断が生まれる。
 もちろん、誰もが安全運転に心がけ、注意して運転しているが、それは本気ではない。いつもと同じ程度の安全確認を行い、何となく気を付けて運転しているに過ぎない。
 もし、出発が遅れたり、渋滞に巻き込まれて約束の時刻に遅れそうにでもなれば気が気ではない。約束を守らなければならない、大切な取引先からお叱りをいただくわけにはいかないとそわそわし、注意力も散漫になる。
 それでも大抵の場合は事故を起こさないため、同じ運転を繰り返す。誰かが事故を起こし、時に大きな事故になれば報道されるが、それは他人事として聞き流し、何の根拠もない自己過信によって自分は大丈夫なのだと思い込む。
 
 しかし、車を運転している限り、いかなる場合も最優先すべきは落ち着いて運転すること、運転に集中することに議論の余地はない。
 取引先での交渉に考えを巡らせるのではなく、運転中は事故を防ぐ運転に集中することである。思いがけない渋滞で約束の時刻に遅れそうになったのであれば、率直に遅れることを伝え、お詫びすること。平素から、安全運転を優先する考え方、率直にお詫びする勇気こそを互いに尊重する、そんな信頼関係を築いていたい。
 先方からお叱りをいただくことを嫌がり、無謀な運転をして間に合ったことを成功体験としてはいけない。それは、いつか誰かの事故につながり、起こしてしまった事故はなかったことにはできない。事故を防ぐこと、安全運転を続けることの重要性、大切さを私たちは忘れてはならない。
 
 落ち着いた気持ちでゆっくりと確実に運転すること、これこそが運転中の唯一の仕事である。それは、事故を起こす可能性の問題だけではない。自動車とは、安全・快適で便利な乗り物であるが、落ち着いて運転することができなければ、安全という機能を発揮することができないからである。
 多くのドライバーは、自由とか思いのまま運転できることを自動車の機能と勘違いしている。だから人を傷付けるのだ。
 交通事故は、多くの人の命を奪っただけではなく、数え切れないほどの人の心と体を傷付け、その人生を奪ってきた。死亡事故とは、命が奪われた、失われたという結果を示すものであり、それはほとんどの場合、ありふれた事故の結果である。
 つまり、ありふれた事故を徹底的に減らし続けない限り、交通死亡事故はなくならないということであり、そのために何よりも必要なこととは、落ち着いて運転することである。ありふれた過失によって大切な人の命、自分の人生を失ってはならない。
 業務中であればなおさら、通勤途上であっても、休日の買い物であっても、どんなときも常に落ち着いて運転すること、それが運転中の唯一の仕事である。