道路交通法の価値

2022年 8月号

 警察官は警部という階級に昇任すると、東京にある警察大学校という施設で長期間の研修を受ける。
 平成の初め、入校していた私に「道路交通法について考えるところを述べよ」という課題が出た。かねてより道交法について懐疑的、批判的な考えを持っていた私は、次のような趣旨の論文を提出した。
 
 「法律は社会の秩序を維持するために存在するが、法による規制の前には道徳が存在するため、『法は最低の道徳』とも説明される。道徳という社会的な行動規範を破った行為の悪性が強く、社会的な非難では足りず、社会的な制裁(刑罰)が必要だと判断された行為の集積(行為類型)が法律だという説明である。
 ならば、ごく普通の人の一般的な行動が法律に抵触することはないはずである。
 しかし、道路交通の現状を考えると、駐車違反、速度違反、一時停止場所の違反など、日本中で常に交通違反は繰り返されており、一般的な人の運転行動が法の規制を犯す結果となっている。つまり、道路交通法は誰もが普通に犯してしまう一般的な行為を規制しており、それは最低の道徳ではない。
 そのため、ほとんどのドライバーは道交法を守ることではなく検挙されないことに注意を払うようになり、違反行為は減少しない。また、交通違反で検挙されても、その違反行為を反省するのではなく、警察官に見つかったことを反省する。
 そもそも、道交法の目的である安全で快適な交通環境を実現するためには、誰もが守るべき最低の道徳としての道交法の規制の在り方について再検討されるべきではないかと考えている」

 しかし、その論文は教授の逆鱗に触れ、私は呼び出されて叱責された。「警察幹部になろうとする者が、こんなことを考えていてどうするのか。現在までの交通事故の減少、それが道路交通法の存在意義に他ならない。あなたの論文は落第です」
 
 その論文以外の成績が良かったため、私は落第することもなく卒業したが、今提出するならこう書くであろう。
 「守られない道路交通法のままで、安全で快適な交通環境という目的を実現することはできない。ドライバーの運転行動を変化させ、それを社会全体に浸透させていくことを見据えた規制と取締りが必要である。
 そもそも守ることのできない規制など存在しない。守らないだけである。そして多くのドライバーが道交法を守らないのは、守る理由やその必要性を知らないからである。
 例えば一時停止場所とは、左右の安全を確認する場所ではなく、確実に止まることで出合い頭の事故を防ぐ場所であること、それ以外に事故を防ぐ方法がないことを伝えなければならない。
 また、速度規制はそれぞれの道路環境(交通量、幅員、歩道やガードレールの有無、住宅街か郊外か、など)によって定められており、昼も夜も雨の日もある自然環境の中で、交通事故を防ぐために守るべき速度として定められている。事故を起こさないことを保証する速度ではないが、それは尊重するに値する規制である。
 警察組織にとって交通違反の検挙が目的なのではなく、違反があるから検挙するのでもない。安全で快適な交通環境を実現するために必要な規制と取締りについての議論を重ね、その考え方を広く国民に示すことが必要である。規制や取締の必要性とその目的について多くのドライバーと共有することによって、はじめて運転行動を変化させることが可能になるからである。
 運転者も歩行者、自転車も、それぞれが道交法を尊重することによって安全で快適な交通環境を実現すること、これこそが道路交通法の目的である」 …… 進化していないから、また落第かな(笑)