食べず嫌い

2023年 3月号

 嫌いな食べ物とは、年齢や性別によって異なるようです。
 私たちの舌には味を感じる器官(味蕾)があり、その数が多いほど様々な味を感知できるのですが、それは人生を豊かにする味覚の豊かさではなく、食べ物の安全性・危険性を判断するための器官であるとされています。
 子どもの味蕾は約1万個ですが、大人になるとそれは半減します。味蕾の多い子どもの味覚は敏感で、少しの苦みや辛みも苦手なのですが、それは食べ物に対する警戒感の表れなのだそうです。
 苦いものや辛いもの、香りの強いものは体にとって有害である場合があり、そのために体の未成熟な子どもは食べることを拒否するのです。つまり、子どもが大人の好む珍味や香辛料などを嫌うのは、防衛本能に根ざしているということです。
 
 さて、安全運転ができない理由として、安全運転は面倒だ、疲れるから嫌だという声を聞きます。確かに安全運転とは、安全確認する範囲も広く、注意すべき点も多く、警戒感も不可欠です。
 しかし、それは「食べず嫌い」なのだと思っています。安全運転が面倒で自分にはできないという先入観を捨てることができれば、それはむしろ心地よい運転であることを実感できるはずなのです。
 子どもの頃に食べられなかった、嫌いだったからと、大人になっても食べない「食べず嫌い」の人は少なくありません。しかし、いろいろな味、食べ物を楽しむことも幸せのひとつであるならば、これまで嫌いだと思い込んでいた食べ物をもう一度食べてみること、それは人生にとって無駄ではないのかもしれません。
 
 ある大企業で安全運転を担当する若い女性が、こんな話を聞かせてくれました。
 「私は安全運転の担当になってから、安全運転についてずっと考えていて、特に数年前からは歩行者保護について考えてきました。
 横断歩道で歩行者が待っていれば止まるということも、そのためには、普通に走っているだけではできないことを感じていました。
 止まるためには、ダイヤマークを見つけたら減速して、止まれる速度で横断歩道周辺、歩行者・自転車の有無を確認することなどが必要なのです。
 そして、そんな運転を続けていたら、いつの間にか安全運転することが普通にできるようになりました。
 特に、ダイヤマークを見つけたらわくわくする嬉しい気持ちを感じるようになりました。その先の横断歩道に誰か待っていたら止まってあげよう、別にお礼などしてもらえなくても、そうすることが私の運転なのだと思えるようになりました……」

 これこそ、私たちが多くの人たちと共有すべき運転行動であり、目標とすべき安全運転の在り方なのだと思います。
 安全運転とは、負担を強いられる苦しいものではありません。安全に車を走らせることで、安全・快適という自動車本来の機能を取り戻し、人と車が共存できるのです。
 その女性は新しい部署に異動されたため、お会いして意見交換する機会がなくなってしまいましたが、きっと新しい部署でも活躍されることでしょう。
 安全運転とは、その人の人としての誠実さの現れであることを思えば、彼女はどんな部署でも誠実に仕事と向き合い、活躍されるに違いないからです。素敵な言葉に誠実な人柄を感じ、人が組織を支え進化させていくことを思います。
 私もそうありたい。安全運転を行うこと、続けることを義務だと感じるのではなく、それを心地よく感じながら運転することを誇りに思っていたい。老いてなお、誠実でありたい。
 皆さんも、食べず嫌いは終わりにしませんか?