COVID-19

2020年 7月号

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大は世界中を震撼させた。そして、この日本でも、半年前には誰も考えなかったことが現実となった。人も企業も自由であるはずなのに、警察の取締りを受けるわけでもないのに、多くの人たちは外出を我慢し、経営者は営業を自粛した。
 それは、自分が感染するという恐怖心だけが理由ではなかったはずだ。多くの人たちは、自分のことだけではなく、私たちが生きているこの社会の一員としての責任を果たそうとしたのではなかったか。その結果、外出を控え、出勤を制限し、営業を自粛して情勢は沈静化した。
 
 それができたのに、なぜ交通事故を防ぐための行動は実現できないのかと思う。ほぼ毎日のように死亡事故や重大事故のニュースが流れ、交通事故が頻発していることなど誰もが知っている。なのに、「私は大丈夫」という根拠のない感覚を頼りにしてずさんな運転が繰り返されている。
 愛知県の交通事故情勢は、4月単月(昨年4月との比較)では人身事故件数で-37.6%、負傷者数では-40.0%と大幅に減少した。しかし、それは企業活動の縮小、外出の自粛によって交通量が減少した結果であり、ドライバーの安全意識が向上したからではない。
 多くのドライバーにとって運転の基準とは、交通違反は検挙されなければいい、そして事故さえ起こさなければいいというレベルである。仮に事故の経験があっても、あれはたまたま運が悪かったからだとか、相手が悪かったからだと結論づけ、事故直後に反省することはあっても、自分の運転行動を本気で変えていこうと考えることはない。
 
 新型コロナウイルスの感染対策として行動を自粛することと、安全運転を続けることは同じである。感染が拡大する中で、自分のことだけではなく、この社会の一員としての責任を果たそうとしたことを忘れずに、車を運転するときにもその気持ちを持ち続けることができれば、私たちは交通事故を半減させ、死亡事故をなくすことができるはずである。 
 私たちは運転することがあまりに日常的な行動であるために、運転することに緊張感を保つことができない。運転することが目的なのではなく、仕事や買い物という目的のための移動手段にすぎないため、注意力が散漫になる。そして、過去に大きな事故を起こしていないという成功体験や、他のドライバーの運転レベルを基準とするために自制心が緩む。
 そうした気楽な運転を繰り返していることの必然的な結果として、今日も交通事故で誰かを傷つけ、その命を奪い続けている。しかし、それは断じて運が悪かったからではない。ほとんどの交通事故は、ドライバー自身の注意力、安全意識を高めることによって防ぐことができるからだ。
 
 こんな声が聞こえた。「運転するのにいちいち緊張していたら疲れてしまう」
 そのとおり、運転することとは緊張状態が求められる困難な行動なのだ。どれほど日常的な行動であっても、他のドライバーがいかにずさんな運転をしていたとしても、自分だけは運転することの危険性を理解し、緊張感を欠くことを許してはならないのだ。
 私たちの社会が経験した新型コロナウイルス感染症の感染拡大、その経験は新しい交通環境の創出に向けても活かすべきだと思わずにいられない。そうすれば、私たち自身の力で交通事故を半減させ、死亡事故をなくすことができるからである。